抱負兼宣言

 酔って思い付きで書いてるのですぐ終わり。

 二年次の春学期の期末試験期間、弊学部必修科目であるところの「経済史入門」の勉強があまりにも辛かった自分は、大学外の友人に「自分を追い込まねばならない」「これ落としたらなろうデビューしてやんよ」と言いました。

 落としました。

 

 誰も覚えてねえだろって無視してたら、秋頃大学の友人に「デビューはどうした」と詰められました。こいつ俺が昔ネットでやらかしたの掘り返してタイムラインで誰とは言わんが~とか言ってくるしマジでネットストーカーかなんかか?

 

 今年はちゃんとデビューしようと思います。そもそも高校卒業後の春休みに書いたやつとかpixivに誰にもバレないように上げてたりするんだけど、クオリティに納得がいかないから使いまわしたくないという思いで新しく書いてる。なんか学生学会近いらしいけど知らねえよもう。

 誰にも言わずにしれっと上げて聞かれたときにもうしたよ?っていう予定、バンバン宣伝してるやつとか蛮勇の具現化かよ、リアルで書いたものイジられたら確実に死んでる というかこのブログネタにされるたびにちゃんと死んでるからな

 

 

 ちなみに経済史は三年の再履修でも取れなかったので今年取れないと卒業不可です。俺歴史学びに経済学部来たんじゃないんだけど????????

漏れvs希死念慮

 はよう希死念慮が勝つ場面にお目にかかりたいもんですね。

 

 

 人生最初の自殺未遂はもう6年前のことになる。

 プライドを裏切るほどの成績不振に耐え切れなかった自分は、学校の最上階から飛び降りを図り、あと手を離せば地球とキッス待ったなしという状況下で、誰もいない教室に何故かやってきた部活の先輩に見咎められ、身体のどこを痛めることもなく終わった。

 

 6年経った。あの時ほどいいところまでいった自殺はそれ以来ついぞ無かったが、この6年間で「生きていきたいな」と思えた瞬間も同様にやってこなかった。

 人生は怠惰に進行した。中高一貫ゆえに起伏もなく高校3年生になり、第一志望の国立にはカスりもせず、レイプがお家芸の私大に転がり込んだ。満足いくわけもなく、入学前の春休みに2回目の未遂があった。激情に駆られた初めてとは異なり、毎日深夜に静かに死を願った末の逃避だった。

 そして何も成す事はなく大学3年の冬がやってきた。始まった就活で、経歴だけを見て順調だねと評した人事がいた。確かに浪人も留年も無かったが、その実中身も無に等しい。次のステージへの招待は届かなかったし、人事に見る目はあったわけだが。

 

 本当に耐えられないなら死にたどり着けたはず、という仮定をすれば、俺の自殺未遂は気の迷いということになってしまうらしい。

 成績不振で死のうとしたくせに、その後さらに成績が降下してもヘラヘラしていた。入る前から死のうとするほど自尊心が傷つくような大学に、いまや多少の愛着すらある。

 それでも、あの時死にたいと心から願った感情は嘘じゃない。6年間ずっとリフレインしている感情が気の迷いなわけはない。ならば正解はなんだ。普通の人間よりヒット・ポイントが低いのか。防御力が低いのか。精神力がないのか。その全部か。

 

 

 そろそろ筋の通った文章を書きたい。

 個人主義の時代と言われ、様々な人権が認められ、一周回って人権と人権のぶつかり合う窮屈な世界と化した現代であるが、「自分の人生を自分で終わらせる権利」というものはあまり万人に受け入れられる価値観ではないらしい。

 用途を安楽死、それも治る見込みのない重病人が痛みに耐え切れず選ぶ選択肢に限ってなお、法と倫理がオラついてくるのが現状だ。技術は間に合っているが、それが自業自得の自殺志願キモオタクに回ってくるよりは、痛みと恐怖に打ち克ってティピカルな自殺をキメる方が早そうだ。

 計画的に自殺を試みた人間というのは、激しく、それでいて刹那的な痛みと、これから人生を全うに完走するまでにじわじわと嬲られる苦しみ、この二つを天秤にかけた人間が多いのではないかと思う。少なくとも自分はそうだった。

 もし今すぐ安らかに死ねるというなら、その天秤がどちらに傾くかなんてのは考えるまでもない。人生は辛くて重い。

 

 生きる以上常に苦痛、ストレスがつきまとうことは小学生でも体感している。それが社会人ともなれば苦痛の量はそれまでの人生の比ではないのは明らかだ。

 その苦痛を健常者*1はどう乗り切っているのか。「何かの為なら頑張れる」というメンタリティが大なり小なりあるのではと推測する。少なくとも、自殺した人や死にたいと口に出す人に対して自分の成功体験を語り出す謎の勢力の説話をみるにそう感じた。

 それに照らし合わせるなら、自分は「頑張って得たいものは別に何もない」。

 生死が関わらない問題でも、無気力という性質は俺の根本的な問題かもしれない。

 成績優秀者でありたいが、勉強するほどじゃない。

 良い大学に行きたいが、対策するほどじゃない。

 オタク本を買いたいが、有明にいくほどじゃない。

 金は必要だが、バイトするほどじゃない。

 人と楽しく遊びたいが、家を出るほどじゃない。

 ゲームは面白そうだが、PCを付けるほどじゃない。

 休日は大概、布団で眠っているかスマホを見ているかでほぼ24時間を使い切る。親指を動かすくらいは、得られることに見合った活動だ。面倒くさくない。弱いのは欲求なのか、行動力なのか。

 

 クソ私文大学生だからどうにか生きてこれたが、社会に出る事と直面せざるを得なくなった今、希死念慮が増大してきたのを感じる。今までとは違う、悲痛でも怒りでもない、ただただ、「無理」という諦念。

 夏にとある日系コンサルの社畜体験キャンペーン*2に参加し、6時に起き22時に帰ってきて、出社中に終わらなかったタスクをしばくために2時まで奮闘するような生活を数日送った。逃げ出したいほどじゃなかった。だが無価値だ。

 最終日、家に帰ってきて本棚を眺めた。そろそろ120冊に近づきつつある百合漫画を見て、捨ててしまいたいと強く思った。

 読む余裕が時間にも肉体にも無くなっても持っていたら、自分が惨めで、無力で、きっと泣いてしまう。

 つまるところ、俺は何かに熱中できる、オタクですらなかったらしい。

 

 働かなければ金は貰えない。金がなければ飯が食えない。飯が食えねば生きていけない。多くの人が当たり前に乗り越えていくところで、どうにもつまずいてしまった。

 きっと俺の人生は、働いて維持したいほどじゃない。

 何かの為に行動を起こせなくなった自分にとって、人生とは、明日の苦痛を味わうために今日の苦痛を耐えしのぐ、サイクル以外の何物でもないものになるだろう。そんな予感がここ数日自分を支配している。

 今はまだ親が餌を食わせてくれる。大学生という社会的価値が寝ているだけで生かしてくれる。

 生きたくないが、死ぬほどじゃない。今はそう思えている。良い事だとは思わない。

 生きたくないという欲求が勝つか、死ぬくらいならいいかと価値が上がるか、バランスが崩れた時が三回目になるだろうなあ。

 

 

*1:ここでは”オタク”の対義語として、まっとうな人生を歩む人間の総称として用いている

*2:インターンシップ

理想と現実の間で戦う男たちの聖域

諸賢、肉は好きか?

牛肉は好きか?

ステーキは好きか?

 

 デブであるところの俺は全ての質問にyesと答えるほかない。

 勿論、他のデブフードも同等、あるいはそれ以上に愛しているわけだが、「ステーキ」という食べ物はどこか祝福めいた響きを持っている。上から下まですべてが肉で構成されているこの料理の魅力については、もはや語るまでもないだろう。

 一方で誤魔化しようもなく肉100%であることから、牛肉の質と価格が高いこの国においてステーキは高級品としてのイメージも強い。モノホンの高級食材には及ぶべくもないが、それにしたっていざ外でステーキを食おうとすれば、ファミレスの3倍くらいの金が飛んでいくのが現実である。

 そしてその現実を打破すべく、昨今の日本飲食業界で彗星の如く異彩を放つステーキハウスチェーンこそが、「いきなり!ステーキ」なのである。既にご存知の方も多かろう。

 「いきなり!ステーキ」の特徴は何といってもその低価格と、それを実現するための容赦ない店舗設計だ。殆どの場合座席は無く、客に立ち食いを要求するし、前菜だとかまどろっこしい事もせずに開幕からステーキが出てくる。その雰囲気は客に長居をさせず、高い回転率で利益を上げる事を主眼としているのは明らかだ。そしてそのリターンとして、十分な質の牛肉300gを2000円前後で提供してみせる。

 前説明はこの辺でいいだろうか。当記事はそんな「いきなり!ステーキ三田店」に俺が赴いた際のレビュー記事というか日記である。

 

 

経緯

 そもそもその日、三田という地域に訪れたのは人生で4回目くらいだった。数日前に要件単位±0でアクロバット進級を決めていた俺は、3年次からのゼミの合格発表を見に行くために、馴染みもない三田のキャンパスに赴く必要があったのである。

 馴れないキャンパスで多少建物を彷徨い、倍率一倍台の無感動な合格を見届け終わった時、時間はちょうど正午を回ったころだった。腹も減っていたし、四月以降の予習も兼ねて大学付近で飯を食おうと思い至ったのは、至極当然な判断だったといえる。

 三田という土地は分類としては東京都港区の管轄にあり、最寄り駅的には山手線田町駅の辺りである。要するに、一応大学はあれど地域をざっと見ればほとんどオフィス街とも言うべきであり、2年次までのキャンパスが位置する日吉に大学生しかいないのとは対照的に、サラリーマンが人口の大半を占めているのだ。

 そうなれば当然、存在する飲食店の傾向というものも変わってくる。学生街の飲食店が量と価格を意識し、ランチタイムを一番の稼ぎ時としているのに対して、ここ三田はちょっとお高めの飲み屋が散見されるし、どうやらランチの時間帯はメニューを制限している店舗も多いようだった。

 これは困った、という気分になってきた。学生街で二年間の大学生活を送った俺にとって、今まで昼食の選択肢といえばラーメンつけ麺油そば、というような偏ったものであり、そもそもジャンルから選ばなくてはいけない状況に翻弄されているような感じだ。

 方針も定まらず、(不遜にも大学の名前がついた)通りに足を踏み入れたところで、いかにも会社の昼休みである、というような背広の男たちの行列が目に入った。それがまさに「いきなり!ステーキ三田店」だったのである。「おお、これが…」というのがその瞬間の感想だ。

 まあここ数日の俺はなんだかんだ祝われるような結果を出していたし、一人でステーキの200gや300g食ってもバチは当たらないか、などと思いつつその列に加わることを選んだ。最近話題の店だというのは知っていたので、ステーキの立ち食いを経験したかったというのもある。

 列の総人数は5人ほど。俺以外は全員スーツのリーマンだ。店内は込み合っているがやはりワイシャツの男が大半を占めているように見える。大学が学期中ならば多少は学生もいるのかもしれないが、春休みであることが客層の単一化に拍車を掛けているのだろう。適当に灰色のパーカーを着てきただけの俺は、多分客観的に見れば浮いていた。

 前説明でも述べた通り、この店の客の回転は速い。TwitterのTLを開いて最新のツイートに追いつくまでの間に、俺は店内に案内された。一つ後ろに並んでいた眼鏡のリーマンも同じタイミングで案内された。

 

 

入店

 外に客が並んでいるのだから当たり前といえば当たり前だが、店内はほぼ満席だった。案内された席(立ち食いだから正確には席ではないのだが)には既にメニューと紙エプロンが置かれている。眼鏡のリーマンは俺の隣に案内された。

 メニューを見る間もなく、案内してくれた店員が注文を取ろうとする。まあ並んでいた時に店外の立て看板を見ていたので支障は無い。ワイルドステーキ300gのランチセットを頼む。ライスについて聞かれ、一瞬迷ったのち大盛りを選択。デブは留まるところを知らぬ。

 この「ワイルドステーキ」というのはメニュー上は正式名称「CABワイルドステーキ」といい、ランチ限定で提供されているようだ。サーロインやらフィレやら、部位指定のステーキより遥かに安い。CABが何を指すかはよくわからなかったが、多分何かの略称で三文字目の”B”は”Beef”であろう。

 隣のリーマンは同じく300g。しかしライスは抜きで、オプションに黒烏龍茶を注文した。あまり年配には見えなかったが、自分の体を気遣ってのオーダーであろうことは想像に難くない。そもそも健康志向の人間が昼にステーキを300gも食べることはないだろうが、肉が食いたいという感情を優先する中での最大限の譲歩だ。

 ステーキが届くまで5分もかからなかったのではないかと思う。その間にも数人のサラリーマンが退店し、新しくサラリーマンがやってきて、白飯抜きランチを頼んだ。なんだか俺は嬉しくなる。この店には、「そこまでしてステーキを食いたい男たち」が絶えずやってくるのだ。

 

 

実食

 とうとうステーキ300gが俺の目の前にやってきた。見たところ表面だけさっと焼いたレアの中のレア。既に切れ目が入っている。提供速度が最優先で、しっかり焼いたのがお好きなら各自鉄板でもう少し温めろということらしい。ミディアム派の俺は肉を横にしてしばし待つことにした。

f:id:cranetrick:20180325031524j:plain横にする前に写真とりゃ良かったな…

 隣の眼鏡リーマンはレアで構わんとばかりに先に食べ始めたようだった。まあ俺は急ぎでもないし、とセットのサラダをもそもそ食う。

 側面もやや茶色になったところで、真ん中の赤身がしっかりした一切れをさらに半分にしてから食う。中々うまい。

 この「中々」というのは自分の期待値をやや超えた、くらいの評価だ。上出来である。これが2000円を切るならば大満足、といったところ。まあこの記事は食レポではなく来訪レポなので、洒落た文章で肉の味を表現はしない。そういうのは他に任せる。

 

 隣の眼鏡は食うまでが早けりゃ食うのも早かった。俺が半分くらい食ったところでもう足早に店を去っていった。奴には奴の時間があるだろう。急がねばならずとも、炭水化物を気にしてでも、奴は今日ステーキが食いたかったのだ。

 先にも述べた通り三田という土地はサラリーマンだらけだ。学生の俺は間違いなく浮いていたし、俺自身なんとなく、駅から大学に着くまでずっと「アウェー感」を感じていた。

 オフィス街と学生街ではそもそも、「流れる時間の速度が違うのではないか」と錯覚するほどに空気が違う。違うなあとそれで終われば気持ちは楽だが、現実は甘くない。

 俺は嫌でも2年後、そうでなくても近いうちにこの労働者たちの空気感、時間感覚に順応しなければならないのだ。奇しくも時期は3月。一学年上の先輩方が就活に苦しむ姿をSNSでまざまざと見せつけられる。

 どこぞの文豪の言葉を借りて、将来に対する漠然とした不安、とでも言えばいいだろうか。俺にとってこのオフィス街は歩くだけでそれを感じさせる場所だった。だが、この立ち食いステーキ屋が答えを教えてくれたように思う。

 肉を食いたいと思えば、食えるのだ。白飯は抜かなきゃいけないかもしれない。黒烏龍茶は飲まなきゃいけないかもしれない。午後の始業に間に合わせる必要もある。でも強い意志を以ってステーキが食えるのだ。

 現実に押しつぶされるばかりじゃない。理想の為に譲歩や折り合いが必要なだけだ。ここ三田でも、個人の根源的な強い意志は生きていることを実感する。

 この店にいる男達は皆、現実の色が濃いこの街で理想を実現することが出来た。理想と現実の間で、ステーキという勝利を掴み取った。なんと小さな戦い、小さな勝利。だが日々にちりばめられたその小さな勝利こそ、流れる時間に抗う原動力になるのだろう。

 大丈夫だ。未来の俺もきっと戦える。謎の感傷に浸りながら端の方の脂が乗った一切れを切らずに口に運んだ。ご馳走様でした。

 

 

 

 

 

 話が完全に逸れた。安くてうまかったので、行ける範囲にある人は行ってみるといいと思います。

f:id:cranetrick:20180325041831j:plain店の外。ここから先はまた現実。

始発駅整列乗車2列目3列目の両端は「エース」としての自覚を持ってほしい。

注:当記事で想定するのは4ドアで7人掛けのシートが存在する電車の3列整列乗車の場合です。

 

問題提起

始発で座ろうと奮闘した経験はあるだろうか?

自分はその最たるもので、睡眠時間を多少削ってでも早く家を出て、始発駅で電車を何本か流し着席を狙うタイプの人間だ。(通学時間が長いので電車で居眠りすれば削った睡眠時間はペイ出来る)

さて、その際否が応でも身を投じなくてはならないのは席争いである。その熾烈さは局所的に極まる。

はて、その争いを避けるための始発、ひいては整列乗車なのでは?と思う人も多いだろうが、その考えは部分的に正しく部分的に誤りだ。以下の図を見てほしい。

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○が座席であるが、4つのドアに対して座席が54であるのが確認できるだろう。(実際は車椅子のためのスペースなどで更に減ることもある)

単純計算で、1つのドアに並んだ人の中で前から13.5人座る事が出来るということになる。……おわかりいただけただろうか?

当然人間は半分になどなれない。必然的に、14人目を争う戦いが隣のドアに並んでいる奴と始まることになる。その戦場は言うまでもなく、7人掛けシートの中央だ。

縦3列での整列乗車であるなら、前から4列(わかりにくいが、行列でいうところの「行」)の12人は基本的に安泰だ。余程のことがなければ何の問題もなく着席できる。

しかし5列目以降の人間は地獄を見る。何せ戦う相手は隣のドアに並ぶ人間だけではない。自分の真横にいる奴だって14人目の競合相手だし、前の12人もちんたらして壁を作っているようなら排除すべき障害だ。

整列乗車はあくまでホームの混雑や明確なトラブルを防止するためのものであり、争いは存在するという事がご理解いただけただろうか。

 

戦術提案

戦いだと分かった以上は戦術が欲しい。その為にはこの戦いがどういう性質のものなのかを理解しなければならないが、結論から言う。団体戦である。

14人目を争う5列目×4ドアの個人戦として考えるにはあまりにも運要素と喧嘩すれすれの体のぶつけ合いが大きい。もちろん本質はそうなのだが、マクロな視点を持っている人間が並んでいるだけでそのドアの圧勝につながる。勿論、今から提唱する説が億が一にも浸透してしまうようならばまた個人戦が始まってしまうので、あくまで相手の一歩先を行く「戦術」であり「必勝法」ではないことに留意する必要はある。

そしてその戦術はこの記事のタイトルの通りである。

「前に並んでいる人間が7人掛けの中央にさっさと座る」以上。

 

わざわざ説明する必要はないだろうが、これだけでいい。5列目が戦いの始まりなんぞ甘えた環境なら2列目3列目が勝負を仕掛ければ競合の必要はない。

中央寄りの2番ドア3番ドアならば、ドア当たりの着席数16を狙う事すら出来る。

なぜ1列目ではないのか?そりゃ流石にちゃんと並んで待ってた人には7人掛けの両端でもたれる権利くらいあるだろうよ。

 

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◎の位置の人が仕掛けるのが一番スマート。入ったドアから5番目の席までインベイドすると流石に揉める危険があるから気をつけようね!

 

終わりに

ここまでツラツラと書いてきたが、これを実行するメリットははっきり言って無い。2列目3列目は元々着席が確定しているし、得するのは自分ではなく後ろに並んでいる顔も知らない奴だし、その分別のドアに並んでいる顔も知らない奴は損している。

ただ、団体目線で勝利したというのは事実だ。当記事での啓蒙が、朝のげんなりするような通勤通学ラッシュに一つの達成感を付与できるならば幸いである。

近況

虚無

 すっかりめんどくさくなってしまい存在を抹消していたブログの存在を思い出したのは、ハースやってて勝てばレジェヒットの試合でOTKプリにブン回られ、グーで三回キーボードを台パンして不燃ゴミにした二時間後。夜も明けかけた午前五時の話だった。

 大学(≒学歴)くらいしかアイデンティティの無いキモオタクである俺にとっては、学期中はクソクソ言いながらも結局は現時点での人生の最重要マーカーが大学であり、いざ長期休みに入り大学に行かなくなると無事「自分が何者なのかわからない」状況に陥る。

 半分昼夜逆転みたいな生活とその虚無の相乗効果で、「特に辛いわけでもない鬱病患者」が完成したわけだ。ほんまもんの鬱い人には申し訳ない話だが、俺自身どうしたらいいのかよくわからんので何とも言えん。

 睡眠障害はシコれば眠くなるから大丈夫!って言ってる奴がTLに現れたときは流石に一度ブロックした。ご存知EDの俺には不可能だからだ。

 さてそんな感じのテンションで無為に匿名掲示板を眺めては、たまにSNSに戻り更新がなくため息をつく、その繰り返しで午前四時台を過ごしていた時に天啓が来た。「とりあえず現状を文章にすれば馬鹿馬鹿しすぎて冷静になるのでは?あるいは承認欲求だけでもワンチャン満たせるのでは?」そして競馬予想を数週間だけして放置していた当ブログの事を思い出したのである。

ただ流石に眠かったので、その時は明日やろうと先延ばしにして寝た。

 

趣味

 社会的地位以外にアイデンティティを確立しうるものは何だろうか?

 そもアイデンティティとはなんだ?安易に横文字に頼るのは良くないのでググる。自己同一性と言われた。世間に浸透している横文字は日本語にうまく対応しないから横文字のまま浸透しているのだということがよくわかった。

 本題に戻るが、趣味は回答としてかなりマルに近いのではないかと思っている。「俺は~~が好きなオタクだ」は、自己の方向性にを決めるのにふさわしいと言える。結局のところ集団に所属してそこで他人との距離感を掴むのが自己確立であるから、「~~が好きな集団」に紛れるのは快い。(それを好むだけで仮想的で概念的な集団に属するって話で別に実在の愛好家コミュニティにいるかどうかは関係ないよ)

 別に俺は無趣味な人間ではない、むしろ広い方(勿論浅い)だと思っている。

 ではその中でアイデンティティにできうるレベルの趣味は何か?人生に占める時間から鑑みるに、音ゲー野球百合の三強だろうか。

 とたんに暗雲立ち込めてきた。そもそもこの文章を書いていること自体、本来楽しいものであるはずのゲームでストレスを貯めたことが原因なのである。

 

モブ

 まず一つ言わせてもらうが、俺はモブという表現が大好きだし、自分はそう括られるにふさわしい凡百野郎だと思っている。どのランカー様が最初に言い出したのか(あるいは俺と似たモブが自虐を始めたのが先か)は知らんが、実力が存在するゲームにおいてこれほど使いやすい言葉はない。

 自分語りは自分語りでも過去の自分語りはあまり好きではないので詳しく話すつもりはないが、音ゲーに初めて触れたその瞬間から最強の手本と壁がすぐそばに存在したのが俺の音ゲー人生である。そしてそれとは一切関係なく自分の問題として、俺は「上手くなるためのプレイ」を一クレたりとも積んでこなかった。

 こんなガイジにも音ゲーは優しい作りになっていて、惰性で100円積んで好きなことやってるだけでものったりとしたペースで地力はついていく。ただそれはラクガキストじゃないが最低極まる自慰行為であって、周りのちゃんとした音ゲーマーのプレイとは乖離したものだった。気づいたのが去年の春過ぎくらい。遅い。

「難易度帯を埋める」「苦手な譜面傾向を触る」「ある一曲をしっかり粘着する、研究する」「その機種にしかないようなマイナー曲もプレイする」基本的に俺の音ゲー人生は全てを避けてきた。ほんのたまにお気に入りのオタク・ソングが収録されれば粘着することもあったが、上手いやつが初見で出すようなスコアに1000円かけてたどり着き、上手いやつが2playで出すような理論値に10000円かけてしがみついた。

 SINOBUZで確か城を探検するイベントがあったが、あのシステムは俺のようなクソゴミに現実を突きつけるに十分だった。効率のいい攻略はまずコストを自己鍛錬に充てるべきだという話で、俺の音ゲーは攻撃力も上げずに目先の事だけ見て初期ステで宝箱を攻撃し続けることに近い。

 まあ無為な自己満音ゲイムも楽しくないわけではない。いや楽しい。変に見栄はって上手い人のモノマネ始めたら急にしんどくなるけど、自分の背丈で遊んでる分には問題ない。やっぱりガイジに優しいゲームだと思う。ただうっかり実在集団に所属してしまったのは今でもやや後悔していて、常々上手い人の邪魔だけはしちゃいけないなとは思っている。腐ったミカンは箱から出さないといけないから。

 自虐もそこそこにして本当は何が言いたいかというと、俺は音ゲーアイデンティティに出来るほど音ゲーが上手くないということ。そして連動する形で、実力要素が介在するような趣味は仮想概念集団にヒエラルキーが発生するから自己確立には不向きだということ。もちろん上手い人は別だよ。

 

ハム

 これはこれでツイで撒き散らしているのでご存知の方も多いかと思うが、俺の贔屓球団は日本ハムだ。野球に詳しくない人はTDNが在籍していた北海道のチームとだけわかっていただければ十分だ。贔屓にしたのは親族がそうだったという単純な話で、熱が入る前とはいえ移転前の東京ドーム時代の試合を見たこともある。

 さて問題を端的に述べれば今年は弱い。去年全てが上手くいって日本一まで行った反動なのかもしれないが、ケガ人はピンポイントにキーパーソンだし、去年の確変が数人無事終わった。まあ早めに来年以降の育成見据えた野球始めたしいいかな。ここ二週間に限って言えば強いし。

 アイデンティティとしてどうか?快適な匿名掲示板ライフでよりストレス貯めることになりそうだから却下。

 

レズ

 そもそも百合のオタク(平坦ではなく”ゆ”をアクセントするのが肝)になったのは色んなものを拗らせて自意識が広がりすぎたからSNSを辞めてた高1の冬くらいだったが、股間を蹴り上げられてEDと化した事と時期こそ近いが因果はない。結局百合厨なりたての頃はサブカルぶって目覚めた理由を難しい言葉にまとめようとしてバカを露呈するなどしていたが、結局のところ恋する女の子は可愛い!二人ならそれが倍!以上のものはないのかもしれない。でも別にNLは読みたくないしどうなんだろう。結局自分が好きになれないからうっかり成功者に投影してしまうのが嫌なのかもしれない。ちょっと自己分析がまとまらないので割愛。

 少女同士の恋愛にどのような価値を見出すかは人によって異なるが、二大カタルシスは「無垢」(イノセント)と「禁忌」(タブー)辺りじゃないかと思う。俺は純真ロリとそれに対して創作的変態思考を隠すことなく溺愛するレズいお姉さんとか、クールで無口に見せかけて姉に対する劣情を胸の内に秘めに秘めた妹とかその辺を見てるのが楽しいので多分後者寄りなんだろう。

 そのどちらも、少女性に対する過度な祀り上げがあるのは言うまでもない。現実の少女を知っているから少女性を神格化する人も、知らないからする人もいると思う。現実の一般恋愛が少女漫画のようにはいかないのと同じで、現実のレズビアンの恋愛も百合漫画のようには普通いかない。

 で、知らなかった俺には無謀にも自分が本気で百合漫画に出てくるような少女に(メンタリティーだけでも)なれると信じていた時期があった。ヤバくね?ヤバでしょこれ。結論から言うとなれなかった。今は来世に期待しているが、あまりにも悪行を積みすぎたので輪廻転生があるにしても畜生道に落ちると思う。

 一応補足として自分のことを女子中学生(17歳)などと言い出したのは流石に全面的にネタでそれとは別件なのだが、それがクロスオーバーしようもんならもう取り返しがつかなかったと思う。実際つかなかったんだよな。

 流石に女子中学生を自称するのは世間の風当たり的にも厳しくついこの間引退を表明したわけだが、あの時期は俺の人生の中で初めて自分のなりたい姿になろう!とデカい声出して努力していた時期なのかもしれない。それがアイデンティティのある人間の姿だと言うなら、あまりにもエネルギッシュで今の俺には刺激が強すぎる。

 

 

 アウトプットで自己を見つめなおすという行為は比較的知られた行為だし、SNS全盛の今の世ではいろんな人が無意識下にそれをやっているのではないかという気もする。

 俺のツイートは基本的にそれを避けようとして生まれたものばかりだと思う。たまにちゃんとやるといきなりフォロワー5桁の絵師がやってきて「これ面白い」とか言い出すのでロクなことにならない。

 ひとまずはそんな事故が起こらない場で文字を書けて少し気は楽になったし、アイデンティティ問題は今週中に意味もなく大学に行ってラーメン食うことで先延ばしにしようと思う。

 

 

 

 

余談1:ロクなことにならなかった例

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余談2:最近一番面白かったLINE

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はじめてのきじ

開設にあたって特に発信したい内容があったわけではありません

というか発信するものでは無いなあというものを置いておきたいがためのブログです

根本的に間違っていますがTwitterが先行するという前提に立てばあながち間違ったものでもないな、と思うことが出来る人は多いんではないでしょうか

 

というか自発をあんまりしたくない性格が災いして日ハムとか競馬とか百合漫画とか自分語りを@63ryyでする理由が現状ほぼありませんのでそういうことです

誰かに見てもらうための場所というよりかは誰でも見られるブレインストーミングだと思っていただければ幸いです