透明と無色は別物(シャニマス 樋口円香に関する諸考察と感想文)

(当記事は延々と樋口円香の話をします。ノクチルのp共通コミュ、sRコミュ、樋口の一枚目pSSR全コミュとTrue、信頼度ボイスあたりは平気でネタバレして延々やります。よろしくね)

 

 

!Caution!

この記事は2020年6月に書かれた記事です。よって当時存在したコミュについてしか触れていません。

【ギンコ・ビローバ】や【ピトス・エルピス】については以下の記事をご覧ください!


 

 

 アイドルマスターシャイニーカラーズ、遊んでますか?僕は遊んでいます。歌姫周回はアイドルロードでも出来るけど、グレ6は限定がいないと話にならないからグレフェスよりPカップの方がユーザーに優しいイベントだな~とか思う程度に遊んでいます。

 とはいえ去年の晩夏に始めた直後にスマホぶっ壊してしまい事実上引退、プレイ期間は10日間くらい。復帰のきっかけは、みなさんご存知あのアイドルTwitterで見かけたことでした。

 

 (融和はしてるけどデレてはないのでヨシ!)

 

 即堕ちしたのは樋口じゃなくて俺の方だったようだね。まあさておきそれ以来樋口担当としておシャニ真面目にやってます。どんくらい真面目かって言うと、

 

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10日間ずっと歌姫周回するのは思ってたよりしんどかった。

 というわけで、ここまで惚れ込んだキャラクターは久しぶりなのでお気持ち表明でもしようと思います。近いうちに来るユニットイベで公式と矛盾してもし~らね。

 

  • 作中編
    • 1.1 プロデューサーvs樋口円香(共通編)
    • 1.2 プロデューサーvs樋口円香(pSSR編)
    • 2.1 浅倉透vs樋口円香
    • 2.2 福丸小糸vs樋口円香
    • 2.3 市川雛菜vs樋口円香
    • 2.ex 283プロvs樋口円香
  • 盤外編
    • 3 オタクvs樋口円香

 

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俺たちの「バーチャル」がナニかってのは全部kz御大が教えてくれたって話


 自分がバーチャルYoutuberを視聴しない理由を言語化する試みは結構簡単だった。

 それは人が遊ぶのを見てるより自分がゲームで遊びたいとか、そもそも配信者を見る土壌が自分の中になかったとか、まあ色々あるのだが、最たるものは「Virtualの解釈違い」だったのかな、という気がする。

 

 バーチャルリアリティーと聞いて夢描いた経験は現代を生きる人間ならば必ずあると思っている。少なくとも俺はある。

 その世界観の基軸はまあ.hackでもSAOでも何でもいいのだが、何か自分のインターネットとバーチャル人格への期待の出発点はロックマンエグゼだったような気がしてならない。

 ここには大きな違いがある。仮想「現実」すらもそれを生きるのは結局我々であり、リアルとインターネットの交錯は現実世界でも創作物の中でも主役は人間だ。

 しかし俺の中には人間から切り離されたエーアイだとかコンピュータへの幻想が彷徨っていて、一人だけバーチャルという言葉の響きに対してサイバーパンク的な何かを期待している。

 要は、配信者と視聴者という「人間と人間」で形作られるコミュニティがバーチャルの名を冠していることに対する、何とも言えない勝手な失望感があったのだ。

 

 

 8年前には、とっくに答えがあった。

youtu.be

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3冊以内で読める!おすすめ百合漫画10選

はじめに

  世は大オタク時代。コンテンツが多様化し、義務教育的な「誰もが視聴している作品」はめっきり減ってきた各界隈で、オタクたちは自らを揺さぶった「神」の存在を他の人に知ってもらうべく、「布教」に励んでいます。

 しかし、自分もこの時代のオタクの一人としてコンテンツを布教したりされたりする中で、一つ感じたことがありました。

 
「他人から勧められたものに手を出すのは結構ハードルが高い」
 
 これはコンテンツの良し悪しや勧めてくれた人との間柄などとは全く無関係で、そのコンテンツに対しての興味がゼロからスタートするのである意味当たり前のこと。故に、どれだけスタートラインをゼロからプラスに動かせるかが布教する側としては肝要なわけです。
 一方で、コンテンツまで辿り着くのに必要なエネルギーを減らすという考え方もあります。コンテンツを消費するのに時間やお金を相当量費やさねばならないとしたら、どれだけ面白いコンテンツをどれだけ仲の良い友人に勧められても手を伸ばすのは困難です。
 というわけで本記事ではタイトルの通り、読んでみよう、買ってみよう、借りてみようとなったときに省エネでも手が出しやすいような、3冊以内で完結している/連載中だが既刊が3冊以内の百合漫画のレビュー兼布教を行っていきます。
 
 3冊というのは結構絶妙なラインで、自分が持つ3巻以内完結の漫画は、打ち切りのような形で終わってしまっていたり、ストーリーこそ畳んだものの、3巻後半は完全に急ぎ足になっている作品も少なくありません。
 しかし百合という「関係性」の変化を描写するジャンルにおいて、それ以上の余白は不要とばかりに少女たちの物語を織った名作が肩を並べるのも、この3冊以内というエリアだったりもします。
 長期作品はしばしば、サブキャラ、サブヒロインの描写に話が逸れている印象を受けることもあります。それに対して3冊以内完結であれば、主人公にのみフォーカスした作品が多く、没入感が高いと言えるでしょう。これらの理由で短い百合漫画は人に勧めやすいのです。
 
 前書きが長くなりましたが、作品紹介に入りましょう。それぞれの作品について、タイトル、表紙画像(クリックでAmazonに飛びます)、公式のあらすじ、ネタバレにならない程度のちょっとした書評/紹介文、という構成を取っています。
 
  • 完結した作品 
  • 連載中の作品
    • ささやくように恋を唄う(百合姫コミックス)
    • きみが死ぬまで恋をしたい(百合姫コミックス)
    • 不揃いの連理(角川コミックス)
    • 一度だけでも、後悔してます。(電撃コミックスNEXT)

 

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雑記;記憶の大掃除

 2019年は残り200時間も無いらしい。

 200時間と書けば結構残っているような印象もある一方で、2019年は8760時間あることを踏まえて考えれば、当然だがあとわずかだ。というよりこの計算をして、1年とは8760時間しかないのかと驚いている。

 とはいえ結局時間軸上の距離感覚というのは印象の強さに大きく左右されるものなので、3月にあった出来事を昨日のことのように思い出せることもあるし、10月にあったイベントを遠い昔のことのように感じることもある。複数回の想起による記憶定着もあることだし、思い出の前後関係は人間曖昧で当然だと思う。

 

 全く関係ない話だが、今日懐が珍しく暖かかったので、百合漫画を10冊くらい買った。概ね1巻とか2巻しか持ってない本の残りの巻だ。

 自分は本棚に1巻がポツンと並んでいる状態があまり好きではない。勿論その本が1巻完結やまだ1巻しか出ていない新しい漫画なら仕方ないが、既刊が揃っていない状態を見ると、自分の飽きっぽさや経済力の無さを突き付けられているような気分になる。(無機物に無力感突き付けられる自己肯定感、何?)

 そういうわけで、今日は経済力を行使して本棚の見栄えを向上させた。1巻から最新刊まで数字が並んでいるのを見ると、やはり気分が良い。新しく買い足した本は、クリスマスとか年末にゆっくり読もうと思う。

 これを踏まえて、ごちゃごちゃになっている今年の記憶も順番通りに整理してみようかと思い立った。今まで自分は大晦日や元旦に1年の総括を試みて諦めてしまうことが何回かあったが、それは完全に終わったことに着手する体力もモチベーションもなかったからではないかと自己分析している。

 本棚を整理することで新しく買うべき本が見えてくる。*1 同様に、未完の2019年を整理することで、どういった残り一週間を過ごすべきが分かってくるのではないか、というようなユルい願望と共に今年を振り返ることにした。

 大掃除にありがちな、久々に手に取った本に時間を取られるような寄り道も挟むことになるだろうが、お付き合いいただければ幸いである。

 

*1:自分は一度これを怠って本屋に行ったことがあり、『あの娘にキスと白百合を』の7巻を2冊所有している。アイキャッチ画像参照。

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夏休みの宿題、自由作文:私のしょう来のゆめ

しょう来のゆめ

      けいざい学ぶ 4ねん〇くみ  くれいん

 

 大昔、清少納言はかの『枕草子』にて”夏は夜”と述べたが、この令和の時代になって動物はおろか虫どもまでそれを理解し始めたように思う。

 勿論蝉のことを言っている。エアコンの故障ゆえに扇風機でその命を保とうとする私は、あまりの騒音に窓を開ける決断を下せずにいた。煩さか、暑さか。不可避のトレードオフに溜め息も出ない。頬を伝う汗が重力に導かれ、首筋を伝い、鎖骨の辺りで不快さを増幅させる。

 冷蔵庫を開けて麦茶が入ったペットボトルを取り出す。シャワーでも浴びて待とうかとユニットバスの方に目を向けたが、どうせまた汗をかくのに、と思うとその気にはならなかった。ビーズクッションの脇のスマートフォンがくだらない通知で明滅して、ついでで表示された時刻が、この家の主の帰りが遅れていることを私に示す。

 私が絵本で読書感想文を書いていた頃の夏の夜は、こんなに暑くもうるさくもなかったはずだ。持ってきたキャリーバッグから覗く夏期講習のテキストを視界に捉え、考える。

 今思えば「夏休みの宿題」は色彩豊かだった。感想文、研究、絵日記、将来の夢について。そのどれもが「自由」を纏って子供たちの欲望を焚きつけようと励んでいた。その頃の私には、暑さを楽しめるだけの気概と余裕があったのかもしれない。はて、当時の将来の夢はなんだったか……

 

 少なくとも、予備校の合宿と嘘をついて、交際する女教師の家に転がり込むことではなかったはずだ。

 

「ただいま」

  耳元で囁かれ、丸めていた背をぞわりと快感が走る。意識外からの愕きが半分、普段の調教の成果が半分。

 自ら振り返る必要もなく、肩と腰に回された腕が私の体を反転させる。ほんの少し目線が交差し、そのまま体重を預けられる。ゆっくりと膝の力を抜き、襲われているかのような体勢でソファに倒れこむ。疲れを感じさせるその身体の重み、外の熱気を孕んだスーツの触感、タバコのメンソールと、ほんの少しの汗の匂い。ゆらりと起こした上半身が私に影を落とし、当然のことのように唇が奪われる。ほんの一瞬で五感が全て支配される。

 刹那のような永遠のような、どう表現しても陳腐になりそうな狂った数秒を経て、小さく吐いた息がキスの終わりを告げる。

「……おかえり」

「あつい」

「シャワー浴びなよ」

 不快感を表明しておいて、私から離れる様子は無い。このまま二人で融けてしまわんばかりに汗が滲む。

「どうせする時汗かくのに」

 あまりに直球な言い回しにどきりとする。それは少し前、自分も考えていたのだ、けれど。

「それともご飯やお風呂が先が良かったかな?」

「…………私、で」

「いい子だ」

 汗が乾いて少し冷えたシャツの中に、腕が入り込んでくる。その温度はすぐに私の心臓に届いて————

 

 

 というのが僕の夢です。よろしくお願いしました。

 

参考:https://twitter.com/63ryy/status/1118558023427825665?s=20

3月1日

 3月9日という曲がある。

 自分は男子校出身のキモオタクだから馴染みがないのだが、どうも世間では卒業ソングとして親しまれているらしい。(それはリスナー側の認識であり曲自体は結婚を祝う曲らしいが)

 そもそも卒業式の日程なんぞ学校によって違うし、同じ学校でも年度によって違ったりする。この日付を世間が卒業の象徴と認識したのはかなり強気なんではないかと思う。

 

 その一方で、日本全国、ここ数年、明らかに統一されている日付がある。

 3月1日。就活解禁日だ。

 

 

 厳密にいえばこの日以前から大多数の企業と学生は採用/就職活動に手を染めている。自分も去年の夏にはいくつかのインターンシップに参加し、そのうちの2社は去年のうちに裏ルートで選考を受けている。両者ともに経団連加盟企業であるから、恐らくルール違反だ。

 この形骸化したルールは来年には撤廃されるらしい。まあ当然ではあるが、形骸化した経緯を無視して捻れを見た目だけ解消したところで、何も解決することはないだろう。

 頭がおかしくなった企業が青田買いをキメ、賢い奴らはさっさと日本から出ていき、賢いフリが得意なバカは知るカフェで「大学で勉強することに価値などない」とほざき、俺のような陰キャはインターネットをエチケット袋代わりにゲロを吐く。

 きっと今と何も変わらない。だが、3月1日を唄うことができるのは俺たち20卒が最後だ。せっかくなので、就活ルールに対する鎮魂歌、いや讃美歌を撒き散らしてみるのもいいかと思いこれを書いている。

 

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漏れvs希死念慮

 はよう希死念慮が勝つ場面にお目にかかりたいもんですね。

 

 

 人生最初の自殺未遂はもう6年前のことになる。

 プライドを裏切るほどの成績不振に耐え切れなかった自分は、学校の最上階から飛び降りを図り、あと手を離せば地球とキッス待ったなしという状況下で、誰もいない教室に何故かやってきた部活の先輩に見咎められ、身体のどこを痛めることもなく終わった。

 

 6年経った。あの時ほどいいところまでいった自殺はそれ以来ついぞ無かったが、この6年間で「生きていきたいな」と思えた瞬間も同様にやってこなかった。

 人生は怠惰に進行した。中高一貫ゆえに起伏もなく高校3年生になり、第一志望の国立にはカスりもせず、レイプがお家芸の私大に転がり込んだ。満足いくわけもなく、入学前の春休みに2回目の未遂があった。激情に駆られた初めてとは異なり、毎日深夜に静かに死を願った末の逃避だった。

 そして何も成す事はなく大学3年の冬がやってきた。始まった就活で、経歴だけを見て順調だねと評した人事がいた。確かに浪人も留年も無かったが、その実中身も無に等しい。次のステージへの招待は届かなかったし、人事に見る目はあったわけだが。

 

 本当に耐えられないなら死にたどり着けたはず、という仮定をすれば、俺の自殺未遂は気の迷いということになってしまうらしい。

 成績不振で死のうとしたくせに、その後さらに成績が降下してもヘラヘラしていた。入る前から死のうとするほど自尊心が傷つくような大学に、いまや多少の愛着すらある。

 それでも、あの時死にたいと心から願った感情は嘘じゃない。6年間ずっとリフレインしている感情が気の迷いなわけはない。ならば正解はなんだ。普通の人間よりヒット・ポイントが低いのか。防御力が低いのか。精神力がないのか。その全部か。

 

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