理想と現実の間で戦う男たちの聖域

諸賢、肉は好きか?

牛肉は好きか?

ステーキは好きか?

 

 デブであるところの俺は全ての質問にyesと答えるほかない。

 勿論、他のデブフードも同等、あるいはそれ以上に愛しているわけだが、「ステーキ」という食べ物はどこか祝福めいた響きを持っている。上から下まですべてが肉で構成されているこの料理の魅力については、もはや語るまでもないだろう。

 一方で誤魔化しようもなく肉100%であることから、牛肉の質と価格が高いこの国においてステーキは高級品としてのイメージも強い。モノホンの高級食材には及ぶべくもないが、それにしたっていざ外でステーキを食おうとすれば、ファミレスの3倍くらいの金が飛んでいくのが現実である。

 そしてその現実を打破すべく、昨今の日本飲食業界で彗星の如く異彩を放つステーキハウスチェーンこそが、「いきなり!ステーキ」なのである。既にご存知の方も多かろう。

 「いきなり!ステーキ」の特徴は何といってもその低価格と、それを実現するための容赦ない店舗設計だ。殆どの場合座席は無く、客に立ち食いを要求するし、前菜だとかまどろっこしい事もせずに開幕からステーキが出てくる。その雰囲気は客に長居をさせず、高い回転率で利益を上げる事を主眼としているのは明らかだ。そしてそのリターンとして、十分な質の牛肉300gを2000円前後で提供してみせる。

 前説明はこの辺でいいだろうか。当記事はそんな「いきなり!ステーキ三田店」に俺が赴いた際のレビュー記事というか日記である。

 

 

 

経緯

 そもそもその日、三田という地域に訪れたのは人生で4回目くらいだった。数日前に要件単位±0でアクロバット進級を決めていた俺は、3年次からのゼミの合格発表を見に行くために、馴染みもない三田のキャンパスに赴く必要があったのである。

 馴れないキャンパスで多少建物を彷徨い、倍率一倍台の無感動な合格を見届け終わった時、時間はちょうど正午を回ったころだった。腹も減っていたし、四月以降の予習も兼ねて大学付近で飯を食おうと思い至ったのは、至極当然な判断だったといえる。

 三田という土地は分類としては東京都港区の管轄にあり、最寄り駅的には山手線田町駅の辺りである。要するに、一応大学はあれど地域をざっと見ればほとんどオフィス街とも言うべきであり、2年次までのキャンパスが位置する日吉に大学生しかいないのとは対照的に、サラリーマンが人口の大半を占めているのだ。

 そうなれば当然、存在する飲食店の傾向というものも変わってくる。学生街の飲食店が量と価格を意識し、ランチタイムを一番の稼ぎ時としているのに対して、ここ三田はちょっとお高めの飲み屋が散見されるし、どうやらランチの時間帯はメニューを制限している店舗も多いようだった。

 これは困った、という気分になってきた。学生街で二年間の大学生活を送った俺にとって、今まで昼食の選択肢といえばラーメンつけ麺油そば、というような偏ったものであり、そもそもジャンルから選ばなくてはいけない状況に翻弄されているような感じだ。

 方針も定まらず、(不遜にも大学の名前がついた)通りに足を踏み入れたところで、いかにも会社の昼休みである、というような背広の男たちの行列が目に入った。それがまさに「いきなり!ステーキ三田店」だったのである。「おお、これが…」というのがその瞬間の感想だ。

 まあここ数日の俺はなんだかんだ祝われるような結果を出していたし、一人でステーキの200gや300g食ってもバチは当たらないか、などと思いつつその列に加わることを選んだ。最近話題の店だというのは知っていたので、ステーキの立ち食いを経験したかったというのもある。

 列の総人数は5人ほど。俺以外は全員スーツのリーマンだ。店内は込み合っているがやはりワイシャツの男が大半を占めているように見える。大学が学期中ならば多少は学生もいるのかもしれないが、春休みであることが客層の単一化に拍車を掛けているのだろう。適当に灰色のパーカーを着てきただけの俺は、多分客観的に見れば浮いていた。

 前説明でも述べた通り、この店の客の回転は速い。TwitterのTLを開いて最新のツイートに追いつくまでの間に、俺は店内に案内された。一つ後ろに並んでいた眼鏡のリーマンも同じタイミングで案内された。

 

 

入店

 外に客が並んでいるのだから当たり前といえば当たり前だが、店内はほぼ満席だった。案内された席(立ち食いだから正確には席ではないのだが)には既にメニューと紙エプロンが置かれている。眼鏡のリーマンは俺の隣に案内された。

 メニューを見る間もなく、案内してくれた店員が注文を取ろうとする。まあ並んでいた時に店外の立て看板を見ていたので支障は無い。ワイルドステーキ300gのランチセットを頼む。ライスについて聞かれ、一瞬迷ったのち大盛りを選択。デブは留まるところを知らぬ。

 この「ワイルドステーキ」というのはメニュー上は正式名称「CABワイルドステーキ」といい、ランチ限定で提供されているようだ。サーロインやらフィレやら、部位指定のステーキより遥かに安い。CABが何を指すかはよくわからなかったが、多分何かの略称で三文字目の”B”は”Beef”であろう。

 隣のリーマンは同じく300g。しかしライスは抜きで、オプションに黒烏龍茶を注文した。あまり年配には見えなかったが、自分の体を気遣ってのオーダーであろうことは想像に難くない。そもそも健康志向の人間が昼にステーキを300gも食べることはないだろうが、肉が食いたいという感情を優先する中での最大限の譲歩だ。

 ステーキが届くまで5分もかからなかったのではないかと思う。その間にも数人のサラリーマンが退店し、新しくサラリーマンがやってきて、白飯抜きランチを頼んだ。なんだか俺は嬉しくなる。この店には、「そこまでしてステーキを食いたい男たち」が絶えずやってくるのだ。

 

 

実食

 とうとうステーキ300gが俺の目の前にやってきた。見たところ表面だけさっと焼いたレアの中のレア。既に切れ目が入っている。提供速度が最優先で、しっかり焼いたのがお好きなら各自鉄板でもう少し温めろということらしい。ミディアム派の俺は肉を横にしてしばし待つことにした。

f:id:cranetrick:20180325031524j:plain横にする前に写真とりゃ良かったな…

 隣の眼鏡リーマンはレアで構わんとばかりに先に食べ始めたようだった。まあ俺は急ぎでもないし、とセットのサラダをもそもそ食う。

 側面もやや茶色になったところで、真ん中の赤身がしっかりした一切れをさらに半分にしてから食う。中々うまい。

 この「中々」というのは自分の期待値をやや超えた、くらいの評価だ。上出来である。これが2000円を切るならば大満足、といったところ。まあこの記事は食レポではなく来訪レポなので、洒落た文章で肉の味を表現はしない。そういうのは他に任せる。

 

 隣の眼鏡は食うまでが早けりゃ食うのも早かった。俺が半分くらい食ったところでもう足早に店を去っていった。奴には奴の時間があるだろう。急がねばならずとも、炭水化物を気にしてでも、奴は今日ステーキが食いたかったのだ。

 先にも述べた通り三田という土地はサラリーマンだらけだ。学生の俺は間違いなく浮いていたし、俺自身なんとなく、駅から大学に着くまでずっと「アウェー感」を感じていた。

 オフィス街と学生街ではそもそも、「流れる時間の速度が違うのではないか」と錯覚するほどに空気が違う。違うなあとそれで終われば気持ちは楽だが、現実は甘くない。

 俺は嫌でも2年後、そうでなくても近いうちにこの労働者たちの空気感、時間感覚に順応しなければならないのだ。奇しくも時期は3月。一学年上の先輩方が就活に苦しむ姿をSNSでまざまざと見せつけられる。

 どこぞの文豪の言葉を借りて、将来に対する漠然とした不安、とでも言えばいいだろうか。俺にとってこのオフィス街は歩くだけでそれを感じさせる場所だった。だが、この立ち食いステーキ屋が答えを教えてくれたように思う。

 肉を食いたいと思えば、食えるのだ。白飯は抜かなきゃいけないかもしれない。黒烏龍茶は飲まなきゃいけないかもしれない。午後の始業に間に合わせる必要もある。でも強い意志を以ってステーキが食えるのだ。

 現実に押しつぶされるばかりじゃない。理想の為に譲歩や折り合いが必要なだけだ。ここ三田でも、個人の根源的な強い意志は生きていることを実感する。

 この店にいる男達は皆、現実の色が濃いこの街で理想を実現することが出来た。理想と現実の間で、ステーキという勝利を掴み取った。なんと小さな戦い、小さな勝利。だが日々にちりばめられたその小さな勝利こそ、流れる時間に抗う原動力になるのだろう。

 大丈夫だ。未来の俺もきっと戦える。謎の感傷に浸りながら端の方の脂が乗った一切れを切らずに口に運んだ。ご馳走様でした。

 

 

 

 

 

 話が完全に逸れた。安くてうまかったので、行ける範囲にある人は行ってみるといいと思います。

f:id:cranetrick:20180325041831j:plain店の外。ここから先はまた現実。