休職したしブログ書く
記事タイトルはわたモテリスペクト。

適応障害の診断を受けて休職期間に入っている。
自分のツイートやこのブログを日頃から見ている方からすれば、ある意味意外だったかもしれない。俺という人間がネガティブであるのは、社会人になる遥か前からずっと続いている話であるし、生きていけないことの苦しみに布団の中で落涙するなどまさに茶飯事だった。そして良くも悪くも、そんなメンタルの浮き沈みとの付き合い方について、それなりに知っているつもりだった。
ではなぜ今更心療内科へ? 答えはシンプルで、今までになかった現象が起きたからだ。初めて、肉体も壊れた。
ある日職場で他人が他人にブチギレているのを目撃させられた俺は、脳がピリピリと痺れて、手がキーボードの上で力なく震え、視線は未完成の原稿の上を滑り続けた。そこから20分近く一切の進捗が産めず、「終わりやね」と内心で半笑いになった。入社からおおよそ1年9ヶ月。自己評価としては長く耐えたのではないかと思ってしまうのが悲しい。
もちろん人間が壊れる理由は単一ではない。ヒューマンエラーが許されない業務内容と職場の雰囲気、単純に少ない休日。心身が参っている感覚はとっくにあって、この出来事は原因というより、たまたまコップから水があふれたのがその時だったという話なのだろう。
自分で書くのはあまりに恥ずかしいが、物事を考える能力と文章を書く能力について、自分は世の平均と比していくらかは優れているのだろうと思っている。裏を返せば、俺に賃金をもたらすような能力はその二つしかない。
だから、職場でその二つがスポイルされるような感覚に陥った時、他人事のように「終わりやね」と感じたのだと思う。これが一時的なものでないなら、俺の社会人としての価値は無くなったも同然だ。そう思ってから受診までは早かった。だましだまし使っていたものがとうとう明確に壊れたから、修理はやむなし。そういう感覚だ。
資本主義に迎合した特技の有無が人間の本質的な価値を左右する、なんてことは微塵も思ってはいないが、それはそれとして稼得能力は喫緊の問題だ。
いくら世を儚んだところで、金を払わないことには生活は成り立ってくれない。このしょうもない人生を維持するためだけに、恐らくは根本的に解決することなく嫌々復職し、そしていつか同じ部品の故障を起こすのだろう。
少しでも生きやすいよう、趣味を仕事にしてみる大博打に出てみたはずだったのだが……結局のところ労働環境に足を挫いてしまったのだから、まるで関係のないことだったと言えてしまうのかもしれない。
先週末あたりから、いい具合に仕事のことを忘れて穏やかに過ごすことができている。可処分時間が大幅に増え、相対的に価値が落ちたことで、様々なことに手を出すことができるようになった。読んでいなかった本を読んだ。プレイしていなかったゲームをプレイした。行きたかった場所に行った。話したかった人と話した。
読んでいる人に忘れてもらいたくはないし、俺自身も見失ってはいけないと強く思うのだが、こういった様々な体験に、俺はまだ素直に価値や喜びを見出すことができる。
相変わらず俺は人生をさっさと終わりにしたいと薄っすら思っているわけだが、これは俺の人生の全てが灰色だからではなく、毎週毎週こなしていくサイクルにおける、苦痛と喜びの収支がマイナスなのが嫌だからだ。世の中にこんなにたくさんの喜びがあるのに、それを踏みにじって明日の苦痛のために眠りに就く自分が、惨めで惨めで仕方がないからだ。そして何より、ほとんどの人が我慢できることで泣き喚いてしまう自分が嫌いだからだ。
この際だから自分で言うのは恥ずかしいことを追加しよう。俺の実家はそれなりに太い。仮に俺がこのまま無職になったとしても、家を頼れば餓死はない。だから俺が楽しいことばかりして生きていくことは、いわゆる「技術的には可能」というやつになるのだろう。
とはいえ、できればそうはなりたくない。みみっちいプライドが残っているのもあるが、近頃は何よりも、父親の人生を踏みにじりたくないと思うようになった。実家の太さが代々継がれる金銀財宝ならば遠慮などしなかったが、労働者階級として正当に稼いできたものを食いつぶすのは、流石の俺でも気が引ける。
産んでくれと頼んだ覚えはない。使い古されたフレーズだし、実際そうなのだが、親の方も俺にこんなカスに育ってくれと頼んではいないのだ。そういう意味で親子関係はどこまでいってもイーブンな個人と個人であり、俺の人生が惰性で苦痛を味わうためのものでないと信じるのであれば、父の人生もまたカスの息子をプー太郎にするためのものではないとせねば、一貫性を欠く。
とはいえその罪悪感を原動力に出来るほど俺の心身は強くなかったし、迷惑を掛けぬようにと首を吊っては穀潰し以上の親不孝だという。
どうしたらいいのかわからないと言えば嘘になる。ずっと前から、どうにもならないのがよくわかっていた。