事前準備
後輩を飯に誘う。

この後輩に声を掛けた理由だが、LoLがうまいことが挙げられる。
LoLがうまいやつは味方のケツを拭くのがうまい。そして後輩は先輩のケツを拭かねばならない。よってLoLがうまい後輩というのはケツ拭き係に最も適している。
金を全額出すという誰でも出来る手段をチラつかせ、店舗と日時を決めさせるとなおよい。
06:00
起床。俺の勤める部署では土曜日に働く必要がある。かわりに月曜日に休むことができるが、今週は三連休なのでなんの意味もない。ちなみにそもそも祝日で休みが増えることはないので、別にマイナスでもない。
13:30
重要度が高い業務が終わり、あとはルーティンワークを片手間でしばきながら競馬を見る。
俺くらいの値段*1の労働者になると、別に会社で馬券を買っても良い。ただ、1万負けてその日の賃金が実質ゼロになった時、あるいは逆に賃金以上の儲けを得た時、じんわりと生きている意味がわからなくなるので、最近は頻度と額が減ってきた*2。
ルーティンワークのほとんどは客に直接届く短文の生成。というか決まった分量の文章に決まってない情報量を詰め込み続ける行為が俺の業務の半分近くを占めており、社会人になってからというもの、そればっかりやっていたら冗長な文章が下手になったのを感じる。ブログの更新がずいぶん滞っていたのは、多忙というよりこちらの側面が大きい。
この日の日記を書こうと思い立ったのも、主たる目的はリハビリだ。ダラついた修飾を思い出したい。とはいえ別に業務を恨んでもいない。趣味に関わる文章を書くことで飯食えてるんだから、もうちょっと嬉しそうにするべきか、とは常々思っている。
18:00
定時退社して渋谷へ。

土曜日午後の渋谷は人間が多すぎる。それも大半は休日ルンルルンで力強く歩いているのに、人間のふりすらできないほうの生き物が連勤終わりでさらに弱っているのだから、当然立ち向かうことはできない。故に駅から飯屋が近いのはかなり助かった。

飯はだいぶよかった。あすけんの女に食事の報告を開始してから初めての飲み会だったので、報告しんどいなと思った。そして今もまだしていない。しんどいと思ったことをサッとやれる人生ならば、こうはなっていない。
20:40
店を出るころには七月上旬の長い長い日中は流石に終わっていたものの、それでも街に人は多かった。解散には早い時間かと思い、駅前のHUBに。入れはしたが、人と声が多すぎてゼロ杯で退店。ここまで全ての判断が俺の独断によるものだが、LoLのうまい後輩はその性質上文句の一つも言わない。
駅からゆっくり離れていけば人もいくらか減っていくだろう、という推測のもとダラダラと歩くことにした。先週末と比較すると梅雨がやや戻ってきたという感じの天気で、それを許せる程度の気温だったのが良かった。
一度コンビニに寄って少し高いヘパリーゼを買う。こういう行動のリターンが大きくなり、400円くらいのコストを越した気がする。本当は飲み会の前に摂取した方がいいのか? あすけんの女はそういうことは別に教えてくれない。
商業活動の光量が多い方を選んだり少ない方を選んだりしながら、店や人間を眺めた。10分も駅前から離れればずいぶんと求めていた雰囲気になってきて、それが逆に散歩自体を楽しくしてしまい、あまり腰を落ち着ける気にならなくなってきた。
途中からは一本逸れると完全に住宅街、というような道に入り、やむなしただひたすらに直進する。決める気のない品定めは続行。雰囲気の良い店はいくらでもあったが、そのいずれにも先客がいて、それが都合の良い言い訳になった。
俺は他人の消費に躊躇がない。外見強度の高い女性二人が連れ立って、飲み屋の二階にある住居に入るべく真っ暗な階段に消えた瞬間がこの日一番気分が良かった。興奮気味に後輩に振ると、彼はLoLがうまいので「モエですね」と言った。
言い訳と思ってもらっても構わないのだが、別に下世話十割というわけでもなく、「人間が多すぎる」からスタートした今日の余白に、暮らしの実在を見ることが出来て、本当に文字通り気分が良かったのだ。
俺の勤める会社は古いぶん逆に立地が良く、30分圏内に住もうと思えば単身向け物件でも月7万円が最低ラインだ。そんなところで暮らせる賃金は当然貰っていないから、しょっちゅう遅延する満員電車に死ぬまで乗り続けるのだと覚悟していた。しかし生き方ひとつでそうではないのかもしれない。人の流れの逆順で家に帰る価値は、いったい俺にとっていくらくらいだろう?
心地よい生活の密度はモラトリアムの悪用なしには成立しない、俺には二度と訪れないものと卑屈に諦めていたが、せいぜい20分でほんの少し考える余地は生まれた。
21:20
一度商業施設が減り、再度増えれば、別の駅の経済圏に入ったことくらいは流石にわかる。二駅めを目指す理由も体力もないのでここでお開きだ。いくら渋谷でなくなったとは言えども、駅前にある飲み屋がさんざスルーした中間地の店たち以上の「趣」を持っていることはないだろうから。
つまり当然、飲み屋じゃなければ上回ることもある。

サウナなんぞ洒落たものは無い、壁に富士山の絵が書いてあるベタベタの銭湯。いくら気温がマシとはいえ、高い湿度の中を歩き回り、酒よりチルで家よりハイプな何かを探し回っていた人間にはあまりに都合が良すぎた。
都合の良い一日だった。こういうハレの日を能動的に生み出すことが出来るなら、もうすこしケの日をやっていく気力も生まれていくものだろうか。しかし良くも悪くもこの日起こった良いことの半分くらいは偶然で、再現性に欠けるのは文章にしてみるとより一層よくわかる。
そういう上振れ下振れをまるごと許容してまず家の外に出る、ができる日をもう少し増やせたらいいかもしれませんね、というあたりが、年休二桁の出不精人間に可能な最大限の締めの文章だろう。
それはそうと、梅雨の夜に飲み会行くって言った息子がなんか風呂入った感じのサッパリ感漂わせて実家に帰ってくるわけで、もしこいつ風俗行ったなと思われたりしたらダルいなとも思った。オチはこれにて。
余った画像


