逆張り人間のギャンブルと人生

 

ダイヤモンドS(G3) 結果・払戻 | 2020年2月22日 東京11R レース情報(JRA) - netkeiba.com

 

 

 俺は20代半ばにして人生の半分以上を競馬で焼き尽くすギャンブル中毒だが、それ以上に人生の節目節目を博打で決めているところがある。悪く言えばノリとかその場のフィーリング、最大限良く言って博打。人生はミクロで見ればギャンブルの連続だ。

 ……これは、わざわざブログ記事など書くまでもないそれなりに手垢のついた思想ではあるが、博打を「良い表現」と思っている辺りにオリジナリティを感じて欲しい。

 もう少し細やかに言うなら、人生における決断は、情報の整理と、その情報の優先度付け。それに基づいて未来を予測し、しまいにリスクリターンを絡めて最終的な行動を決める、という性質において本質的にギャンブルと類似している。逆か。ギャンブルが決断という行為の娯楽化と言えるかもしれない。

 

 ギャンブルにも種類がある。

 お天道様の下で、人や馬の先着を予知できると驕るも良し。音の洪水の中で黙々とハンドルを握り、数字の気まぐれをジッと待つも良し。華やかな隔離空間で、カードやボールの行方で隣人と奪い合うも良し。……これは日本ではまだちょっと早い。

 俺は馬とその予想が好きだから競馬をやるが、競馬というギャンブルのスタイルも好きだ。

 天気のいい競馬場。土曜日は比較的空いている。濃い味付けの鶏肉を口に含み、テーマパーク価格のレモンサワーで嚥下する。目を凝らせ!70秒で全てが決する短距離戦。俺の2400円は、氷を噛み砕いている間に塵と消える。あーあ、中山ダート千二なんて外枠先行馬でいいんだよな。俺が買い損ねた2着馬は、新聞を見るとお情け程度に印が付いていた。

 俺の感じる競馬のギャンブルとしての魅力はそのスピード感と、ハズレも含めたレジャーとしての完成度だ。そして俺は人生の決断を、この温度感でしていたい。

 

 俺は中学受験を自分の意思でした。親にそのつもりは全くないのに外部テストを受け、入塾し、志望校も自分で選んだ。塾に勧められた一番人気、父の出身校である二番人気に見向きもせず、雰囲気が緩く、自由で、ナード的だった六番人気くらいの男子校を熱烈に志望し、押し通した。そこで過ごした六年間は素晴らしいものだった。

 就職面で言えばかなり圧のある大学・学部にいたが、シャフ*1の面が強く出すぎた俺は大企業もベンチャーも行く気にはならず、言い訳程度に数社落ちた後、文系なのに院進した。経済学部の同期は1000人くらいいたはずだが、経済学研究科に来てみると20人程度だった。なんとなくで来てしまった事を幾度となく後悔したが、そこで学んだことはスキルの面でも自尊心の面でも今の俺を強く支えている。

 

 ……と、偉そうに語りはしたが、所詮これは親の資金力という強力なセーフティネットがあるから出来る大博打だった。安定の一番人気には一番人気たる理由があるし、穴のルートには人々が選ばない理由とリスクが当然ある。

 実際、夏の終わりくらいまで俺の進路は樹海でもおかしくなかったし、24年生きてきて色恋と無縁どころか、なんとチ○ポが勃たない。関係ない下ネタ?いやいや、これは実はあの高校に通っていなければ絶対ならなかったことだ――

 でも、後悔は無い。ハズレも笑い飛ばしてこそのギャンブルだし、ハズレの責任も自分で負ってこそのギャンブルだ。そしてこのギャンブルは、人生で読み替えても通るはずだ。人が選ばない道にこそ、万馬券が眠っている。俺はそう信じてやまない。

 

 詳細は伏せるが、俺は競馬業界を就職先に選んだ。馬の生活リズムで仕事をするから激務だし、出世しても同大学同学部平均の1/3くらいの年収にしかならないらしい。でも良い。「社会の役に立つ子は採らないことにしている」を理由に東大生を落としたことのある会社が、俺を笑顔で採った。おもしれー女。馬券を買う時一番大事なことは、結果がどうあれ買った瞬間を後悔しないクオリティの決断を下すことだ。ここから先はセーフティーネットは無いが、そこに笑い話があるなら、負け戦でも良い。

 

 決断と、その答え合わせ。真にオタクなら、人生の岐路でも逆張りでいたい。逆の道には人には見えない景色と、大きな配当、それらが確実にあることを、俺は人生と競馬に信じ続けている。

*1:社会不適合の略。それはそれとしてジャパンカップは本命シャフリヤール