就活詰みました

 読んで字の如く。偽りや誇張は一つもないし、タイトルでオチているので長く書くつもりもない。

 

  

cranetrick.hatenablog.jp

働かなければ金は貰えない。金がなければ飯が食えない。飯が食えねば生きていけない。多くの人が当たり前に乗り越えていくところで、どうにもつまずいてしまった。

きっと俺の人生は、働いて維持したいほどじゃない。

何かの為に行動を起こせなくなった自分にとって、人生とは、明日の苦痛を味わうために今日の苦痛を耐えしのぐ、サイクル以外の何物でもないものになるだろう。そんな予感がここ数日自分を支配している。

 

cranetrick.hatenablog.jp

そもそも就活というイベントは就職したい人間の為のやることだ。就職したくない人間が就職のために活動するのは間違っている。 

 

 

 ついぞ俺の精神性はここから進歩することは無かった。修士課程に入ったところで、二年間の延命をしただけだった。

 それどころか、学部時代の数十倍研究と勉強に時間と体力のリソースを割くようになり、アリバイ作り程度に、就活プラットフォームに登録する際のスクショをTwitterに上げるのが限界。退化したとも言えるだろう。

 

 

 学部時代の主張と比して、改心したわけでも、先鋭化した気付きや悟りを新たに得たわけでもない。差分ベースで手短に書く。 

 

 M1の冬を迎えようとしている俺の就活ステップは、冬季インターンの申し込みと来春本選考に応募する企業の絞り込みという段階になりつつある。かつてインターンに参加しており、志望度の高い企業の中身は既にある程度知っている、というのも、現在就活モチベが低い理由の一つではある。お久しぶりで~す、以前話した通り修士進みました~と報告する為だけに、そこそこ長い社畜体験をまたこなす気にはあまりなれない。

 とはいえ根底は同じだ。大変な思いをするために大変な思いをしたいと全く思えない。

 ここには二つの甘えがある。金が無ければ飯が食えないし、働かなければ金が無いので*1、人間が飯を食わないと死ぬ生き物である以上労働からは逃れられない。もちろん俺は人間であるのでこの因果の中に生きているわけだが、今までの人生で常に親の庇護のもとにいた故、あまり実感を伴っていないというのがまず一つ。そしてもう一つは俺固有の甘えで、二度の自殺未遂や、色んなことから逃げた結果としての迂遠で胡乱な人生が証明している通り、俺は多分死ぬほど嫌なことに直面したら死ぬ生き物だ。もっと正確に言えば、人生って最後は高いところから飛べば良いんだろ?と思っているので、物事を「死ぬ気で」頑張るということが成立しない。

 俺は働くことが死ぬほど嫌なのだろうか?学部時代、駅前1分、好立地の本屋でバイトしていた。同僚の体調不良で休出することもあったし、台風で電車が止まった日に必死こいて出勤して来ない客を待ったりもした。割と淡々とこなしていたと思う。進級に伴ってキャンパスが変わるついでに辞めたが、二度とやるか的な事は別に思わなかった。その地域の最低賃金であったことを考えれば、俺の大学に通う学生のバイト先としては、かなり最底辺に位置する待遇だ。

 そういう環境で特段の文句も無く週3・7時間勤務していた俺は、果たして自殺を視野に入れるほど働くのが嫌な人間なのだろうか?本当に嫌なのは労働ではなく、就活の方なのかもしれない。

 

 

 就活はかなり嫌だ。難しく、手間が多く、何より結果が伴わない。はっきり言って大学院での研究の方が遥かに楽しい。

 手間が多いと感じるのは俺が最悪レベルの面倒くさがりだからだし、結果が出ないのは俺が無能だからだ。ここでは難しいと思う理由について話そう。

 自分のレベルに見合った企業がわからない、というのがまず最大の難しさだと思う。会社に偏差値はない。受験であれば、模試を受けて自分のレベルを知り、第一志望の大学を決め、そこが第一志望なら併願はここがセオリーで、というステップが存在する。

 一方、企業は偏差値という画一的なマッピングが為されているわけでもないし、定められた範囲の学問の理解度を問われる、という統一された選考ステップがあるわけでもない。だから就活でどこを受けるかという判断においてセオリーはかなり少ない。

 故に企業選びというものは難解、混迷を極める。ある程度のレベルの中学・大学が指折り数えられる数に収まる一方で、企業は天に瞬く星の数ほど存在するというのも一因だ。指針がない。大手就活プラットフォームには同じ大学の先輩が入った企業という絞り込みはあるにはあるが、デカめの私大であれば何の意味もない。

 

 問題は他にもある。俺のスペックがピーキーだという事だ。

 学部・大学院を通じて計量経済学──実証ミクロ経済学ともいう──を専攻して、統計的因果推論とか経済理論に基づいた仮説とその実証とかで論文を書いている俺には、ジャストフィットする業界がある。シンクタンクだ。

 逆に言うと、他ではなかなか活きない技能だ。やってきたのはあくまで経済学ベースで、データサイエンス出来ますと胸を張って言うのは憚られる。RやStataはある程度使えるが、Pythonはホントに最低限。あくまで実社会よりアカデミア指向のツールしか使ってこなかった。

 シンクタンクは文系院生の受け皿とも言える世界だが、一方でレベルは高いし、門も狭い。企業によっては新卒リサーチャーの募集が無いところだってある。書類やESは毎度通るのだが、面接を進めているうちに落ちている。ここに拒否されると、俺の技能が強みになる業界は一気に少なくなる。

 要は、やってきた研究やスペックを評価してもらえる業界はレベルが高く、レベルを落とすと俺はただの無駄に2年歳食った文系卒という事だ。コンフォートゾーンが無い。高望みは問題だが、自分の能力を活かせる場というものを突き詰めると、高望みせざるを得ないのだ。

 人よりほんの少し勉強が出来ることだけを武器に人間のフリをしてきた代償だ。人間力とでも言うべき、大量採用をしているようなところで求められているもの、これから成長していこうというようなところで求められているもの。そういうものは俺にはない。自虐とかではなく、客観的事実として、本当に一切ない。

 

 院生にしては無能という状態が、記事タイトルにも書いた「詰み」を生成している。無能だからD進だって難しい。

 年度末までに一旦結果出そうや、的な研究室のプロジェクトに取り組んでいるのもあって、今更資格や人間力の鍛錬に割く時間はない。趣味の時間を削るくらいなら文字通り死んだほうがマシだ。それでいて趣味を金に出来るほどの才覚もやはりない。あるものと言えば、ステイホーム生活で増えた皮下脂肪くらい。

 やはり、馬券で食っていく道を真剣に考えるべきなのだろうか…………

*1:一定の資本があれば資産運用で食えるという事実はあるだろうが、その一定の資本も多くの人間はまず働かないと確保できないだろう