3年に1回だけ「一本記事に出来るほどのネタはないけどかき集めてなんかいっぱい書いたふりしたろ!」が許される『近況権』*1がある。というわけで行使します。
アラウンドサーティ
俺は早生まれだ。ついこの間、25歳になった。これからどんどん、年齢が一つ増えたところで、という人生になっていくのだろう。四半世紀、四捨五入したら30だ。ある意味最初で最後の、重大な区切りのように思う。
最近はもう、夜通し何かに取り組むということが出来ない。もちろん花粉の薬の副作用はあるだろうが、日付が変わる前には抵抗できないレベルの眠気がやってきて、誰に起こされるでもなく朝には目が覚める。
一方で中途半端に若者の部分も残していて、そうやって夜に7時間寝ても、昼まだ全然眠い。昼寝したら6時間とか平気で行けてしまう。そして夜、また眠くなる…………
それが許される日は誇張抜きで13時間眠れてしまう。しかし今更良く寝たところで身長がここから更に伸びるわけでもなし、ただただ一日の可処分時間が減っていくだけ。
それから、PCに長い時間向き合っていると腰に来るようになった。これはどちらかと言えば、老いよりも運動不足の方がマズい気もするが。
とはいえどちらにせよ、自分の身体をある程度気遣った生活を送らなければ、まともな人体を維持できない年齢になってきたのは確かだ。人生においてはそっちの期間の方が長い。長生きしたいとはあまり思っていないが、健康でいるに越したことはない。
辛気臭い上にオチもないトピックから入ってしまった。これも年齢のせいにしていいやつかな。ダメかな?
いざ25歳学生になってみて感じること、こんな感じ pic.twitter.com/z5caDoT732
— くれいん (@63ryy) 2023年2月15日
ネオユニヴァースちゃん
ウマ娘、略してマムスもなんとアプリが2周年。どこにコンテンツが着地するのか読めないまま声優コンテンツとして生き永らえていた時代を含めればもっと長生きしているIPではあるが、まあ2歳ということにしておこう。
さて、アプリゲームの周年というのは基本的には楽しいものだ。ゲーム内容がアップデートされたり、メタが変わったり、新キャラクターが発表されたり。
……新キャラクター発表?
社台レースホース、堂々参戦。
擬人化コンテンツにおけるキャラクター追加は、元ネタがある故にかなり重い意味合いを持つ。そして有名なサラブレッドというものには数に限りがある。
そんな中、2周年を迎えたウマ娘にネオユニが現れた。このことの重大さをウマ娘や競馬を知らない人に伝えるのは割と難しい。
少し誇張するなら、スマブラにドラクエ勇者とかSansとか博麗霊夢とか*2、そういうレベルのことが起こる予兆と言ってもいい。衝撃に備えろ!
それはそれとして、俺はロゴタイプという競走馬が非常に好きで、「権利怪しそう」「馬生に絡んでくる別の馬もやっぱり権利怪しそう」「取れたとて実装されるほどの実績かと言われれば怪しそう」という三点で正直マムスへの登場は無いと踏んでいた。
が、この唐突なネオユニ登場はこの三点をキレイに瓦解させてきた。もう全く油断ならない。油断ならないから、もう今後はちょっとやそっとのことでガチャは回さない。ざまあみろ、Cygames。
くぅ~疲れましたw
こういうものがあってですね。
……こういうものを書きました。
オタク文化に身を置き生きる以上、誰しも大なり小なり、自分の中の情動をアウトプットしてみたい、自分も創作者になってみたい、というモチベーションがあるのではないかと思う。そして自分もまた、その例に漏れない。
そういうわけで、一番お世話になったジャンルのコンテストの締め切りを間借りして、やれるだけのことをやってみることにした。やってみた結果、斜に構えたゆりえっちSSが26000文字。おお~。
読み返してみると賞レースに出すクオリティには全く届いていない。取り組んでいる最中も、ブログや論文を書いている時の1/5程度の速度でしか文字数が増えず、ただただ実力と経験の不足を実感した。
一方で、この世で自分の中にしかなかったであろう、やりたいことをやったという点で一定の満足感はある。今後もフィクションにチャレンジするかは……どうだろう。わからない。やっぱ難産だったし。
普段このブログを読んでくれている人なら、きっと楽しんでもらえると思う。おおよそブログ記事5個分の文字数なので、ぜひ足を運んでみて欲しい。
読んでくれる人、𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬
ブクマ・いいねしてくれる人、𝑯𝑼𝑮𝑬 𝑳𝑶𝑽𝑬
ちなみにこの節のタイトル、最初は「見つけ次第殺せ」にしようと思っていた。くぅ疲はなんだかんだ自前のSSを完結させている点で、その本編やあとがきがどんなクオリティであろうと一定の偉さがある。
一方、見つけ次第殺せというフレーズを産んだあとがきは「他人の書いたネタを勝手に続けてめちゃくちゃやった後勝手に完結させて作者が出張ってくる」という完全に一線を超えた酷さがあり、ネタにしても全く心が痛まない。
……とはいえやはり、インターネットにおいては知名度に勝るものはない。本当の本当に終わり
6-6-7
これは自分が所謂「学校」に籍を置いていた期間の長さで、小学校→中高一貫→大学・大学院と、19年も学生生活を送っていたにも関わらず、三つの学校にしかお世話にならなかったということだ。近況と銘打っておいて昔話をするが、少々お付き合いいただきたい。
小学校については……正味ロクな思い出はない。いや、楽しいことも大いにあったはずなのだが、この年になると嫌だったことの記憶の方が遥かに鮮明である。
今思い返せば当時の俺はとんでもないクソガキで、教師からはまさに腫れ物という扱いだったと思う。問題児というのは相応に損もするもので、3年生の時にヒステリー起こした担任に放課後の防災用具室で激詰めされ、認めるまで帰れないから泣きながら頷いた結果、気付いたら当時学校で起きていた犯人不明の悪戯・イジメの8割くらいの主犯ということになっていた。今思い返すととんでもない話だ。
それでも俺が(当社比)マトモでいられたのは、この件を知らない上級生や転校生とばかり遊んでいたことと、勉強が最低限出来たから進学塾に居場所があったことだ。
一応親はこの件のケアで俺を毎週デッカい病院の小児カウンセリングに連れて行ってくれたが、効いたかはわからない。帰り道の県道沿いのラーメン屋、その味ばかり覚えている。
中高は楽しかった。入学してからわずか一ヶ月で「周りより勉強ができる」という自尊心が完膚なきまでに崩れ去ってくれたおかげで、6年間全てを趣味に生きることが出来た。音楽ゲーム、百合、競馬、スポーツ観戦、ボドゲ・TRPG……その他諸々全ての開始時期がこの6年に詰まっている。
男子校の中でも特にオタク傾向の濃い場所だったと思う。そういう人間を産む場所というよりは、そもそも受験問題と校風がいわゆる「お受験」に完全に逆張りした学校だったので、そういう人間が魅力を感じて受けたがり、勝手に集まる場所だった。
楽しく過ごせた一方で、学業成績は右肩下がりの一方だった。当然だ。試験前の部活停止期間を「ゲーセンに毎日行ける一週間」と思っている人間がテストを乗り切れる道理など無い。俺の人生で一番勉強が出来た時期は、小学6年生かもしれない。
ところで、最近花粉の薬を飲んでいる影響で睡眠の質が悪いのだが、悪夢を見る時の舞台がほぼ必ずこの中高である。嫌なことがあったとかではなく、舞台だけが中高の敷地や校舎で、正体不明の怪異や何かしらの締め切りに追われている*3。俺の深層意識は、あの6年間に一体何をやり残したのだろうか?
大学進学から先の話は……このブログでも度々しているので今更語ることは少ない。ただ、学部5年・院2年で計7年。どこよりも長く所属していた学校になることには、改めて数えてみるとかなりの意外感があった。うしろ3年がほぼほぼ在宅だったことを思えば、当然の話ではあるのだが。
大学生活から就職まで、趣味人としてオールインしてきた7年間であるのはフォロワーや読者のみなさんであれば観測済みかもしれない。自分もそう思うし、そこに後悔などあるはずもない。
ひとつ懸念しているのは、これだけダラダラ生きることに慣れた人間が本当に社会人としてやっていけるかだ。いや、懸念しているといえば嘘になる。やっていけないと半ば確信しているからだ。これは思想だが、社会というものは人間の為ではなく資本主義の為に最適化された形をしている。そんなものに適合出来なかったところで、恥じるべきことは一つもない。我々は人間なのだから。シャフテキ万歳!
どうせ上手くやれない。やれないなりに、好きなことをやる時間を最大化することに人生の最大目標を置く。経済的な成功とかには、今やまるで興味がない。稼ぎが下手に増えたら、万馬券の喜びが相対的に減るだろうが。
……長年の付き合いであったはずの希死念慮が、最近姿を見せない。いや、安らかにさっさと死ねればそれは相変わらず結構な話なのだが、今この瞬間縄に体重を預ける理由は、一応無くなった。
悪い意味での開き直りを、数えきれないほど、至極懇切丁寧にやってきた。上手くやれないことがずっと苦しかったが、そもそも最初から、人生を上手くやらなくてはいけない理由など無かったのだ。
振り返っても、間違いなく、悪くない19年間だった。さらば。これが、学生生活最後の春休みである。