人類はそんなに愚かじゃないと思います

 

 こんにちは!

 このブログをお読みになっている皆さん、人類って愚かだと思いませんか??? 僕はそう思います。(+1人類は愚かポイント)

 今、謎のポイントが加点されましたが、これは後で説明します。

 

 ”人類は愚か”、昨今のインターネットでよく使われる呪文。使い方は簡単で、人類が愚かさを露呈したニュースを見た時や、自由に生きる愛玩動物と、重力や法、様々なしがらみに囚われて苦しみながら生きるヒトを比較する時に使う人が多い。もっとユーモアに寄ったところでは、何かミスをしてしまった際に、自虐のツイートの締め文句として使うケースも目にする。

 この短文の生まれはさておき、去年から爆発的に増えた理由は言うまでもなくCOVID-19の流行である。確かに2020年は、結果論で言っても既存のモラルと照らし合わせても、権力側の施策や、個人やメディアの極端な思想、言動が失敗を繰り返した年であったし、それに対する民衆の反応も、無責任で攻撃的だったように感じる。

 ”人類は愚か”と口にする人の急増に頷けるほど、確かにここ最近、愚かな人類のバーゲンセールだったのだ。(+1人類は愚かポイント)

 ただ自分は、この構文は流行り言葉として擦るにはちょっとリスキーが過ぎるとも感じている。

 

 そもそもこの短文は、わずか5文字でありながら「マウンティング」と「主語が大きい文章」というクソデカ危険要素を多分に内包している。

 勿論そんな攻撃的な意思を以って、本気の人類への侮蔑を込めてこの文章をインターネットに投下している人間は多くはない。だからこそ、考え方が無意識のうちにそちらに寄ってしまうリスクがある。

 やっている人はわかる。”人類は愚か”と言うのは気持ちが良い。何故なら実際に人類は愚かで、まともに生きていればいるほど、強い言葉を口にする機会は中々無いからだ。そしてその安易な快感に身を委ね、所詮自分自身もまた愚かな人類という事を忘れた瞬間に、その人間のインターネットユーモアは終わる。

 主語の大きい自虐は全方位disと紙一重であり、「人類」は誰がどう見てもネタとして昇華されるには、恐らくギリギリで主語として小さい。

 ですからこの記事では、自戒の為に人類は愚かポイント(以下、JOP)を付けています。人類に対して意識的であれ無意識的であれマウントを取るたび加算されるこのポイントは、5ポイントに到達することでこの記事が強制終了し、僕は懺悔室に入ることになります。

 

 さて、この記事で諸賢に何を伝えたいのかというと、無意識な選民やマウントから逃れるための、”人類は愚か”への処方箋だ。

 

 

 

FACTFULNESS

FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

 

 ここ数年のまごうこと無きベストセラー。どれくらい売れているかというと、自分が個人で買って読んでいたら、知らずに親父が買って帰ってきたので、実家に二冊ある。それくらい売れている。名前を聞いたことがある人は勿論、もう読んだよ!という人も多くいるだろう。よって、真面目な書評や紹介は他所に任せることにする。

 この本は概ね、読者に「人類はそんなに愚かじゃないよ」という事を掴みで教えてくれると共に、「そのことに気付いていない人類はやはり愚か」という結論にも至りうる、情報から本質を正しく判断するためのハウツー本だ。

 

 情報の伝達や取捨においては、必ず様々な人間の性質や社会の構造が関与してくる。諸賢がSNSで観測した愚かな人類は、そのほとんどがリツイートなどのRepost機能、再拡散によって視野に飛び込んできているはずだ。それをカットすることなく垂れ流すことで人類は愚かという感情に駆られているのであれば、SNSを健全に利用できているとは言い難いのではないか。

 Twitterの自衛機能といえばブロックとミュートだが、RTを非表示にするという機能がもうちょっと知られていいと思う。Twitter2.0*1を欲しがる人ほど、Twitter1.0的なツイートで消耗しているのが伺える。

 いや正しい順番で言えば消耗しているから2.0を欲しているのだが、自分から1.0的な情報を取り込み、RTしておいて2.0を求めたところで、肝心の楽園に君の居場所はないだろう。(+1JOP)

 

 

絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか (日本経済新聞出版)

絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか

 

 ファクトフルネスはもう読んだよ!的な人にはこっちをお勧めしたい。やや毛色が違うが、現代社会での重大な問題に対し、データを論拠とする計量経済学行動経済学的なアプローチを試みている点で、得られる学びの性質は近いと思う。とかく現代において、”人類は愚か”的な憂いは、時に偏見に変貌し、真実を見失わせうるということを我々に教えてくれる一冊だ。

 これは指導教員からの受け売りだが、文中で引用されるファクトやデータのほぼ全てにおいて、引用元の論文や研究が明記されているのがこの本のいいところだ。興味深い研究があれば、すぐに元論文を読みに行くことが出来る。

 

 

PUI PUI モルカー

molcar-anime.com

twitter.com

 

 ブラウザバックするな。話を聞いてくれ。これには理由がある。

 

 PUI PUI モルカーは1話3分の子供向けストップモーションアニメだ。

 いわゆるクレイアニメの粘土を羊毛フェルトにしたそのかわいらしさと、車が生き物でモルモットという絶妙な世界観、そんなかわいらしい世界でも相変わらずの人間というギャップが受け、つい先日バズった。今期アニメのダークホースである。

 何かにつけては闇が深いなどと言いたがる質の悪いオタク達の盛り上がり方はさておき(+1JOP)この作品は実際面白い。単純にアニメーションとしての出来が素晴らしいし、1話3分というコンパクトさは、起承転結のシェイプアップに成功していると共に、コンテンツ過多で体力を失った現代のオタク達に大変優しい。

 

 それでは何故、この『モルカー』が”人類は愚か”への処方薬たりうるか。それはこの作品が「合法人類は愚かドラッグ」であるからだ。

 子供たちに人気の車と言えば今も昔も「はたらくくるま」であり、パトカーや救急車の活躍シーンを描く以上、狼藉を働くニンゲンはある意味での必要悪である。現時点で公開されている2話までで逮捕者が4人出ているのは、その何よりの証左だ。3話も既に炎天下のモルカー内に猫が放置される次回予告が公開されている。

 HPにも記載があるように、「車のトラブルもモルモットなら許せてしまう!?」という作品コンセプトから言っても、恐らく今後もモルカーは、上質な「可愛く頑張るモルモットカー」と「一方当たり前に愚かな人類」を提供し続けてくれるだろう。

 モルカーに登場するヒトは、実在の人類と似ているが故に愚かではあるのだが、このワンクッションは”人類は愚か”と唱える際の代償を大きく軽減してくれる。やはり人類を救えるのは、愛玩動物しかいないのかもしれない。

 

 1話はバンダイのサイト上で無料、2話以降もYoutubeで1週間の無料公開となるようだ。かつて自分は「長いコンテンツはいくら良いものでも勧めにくいし、手を出しにくい」という記事を書いたが、その観点で言えばモルカーほど勧めやすいコンテンツも珍しい。見なさい。

www.b-ch.com

www.youtube.com

 

 

 

 というわけでこの記事の正体は、PUI PUI モルカーの布教文でした。サムネイルに偽りなし。

 直近の記事がシャニマス、日記、シャニマスのブログが、本気で説教臭い文章を書いていると思ったのなら、人類はさておき、きみは結構愚かだと思う。(+1JOP)

 

 あっ!

 

 

 

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申し訳ございません。

 

 

 モルカーを隠れ蓑に説教臭い文章を書く良い機会だと思ったのは確かなんすけどね。ごめんて

*1:だれも社会や政治の話をせず、毎日アニメを観たりゲームをしたりして1日が終わるマジで楽しいSNS。というジョーク。