雑記;記憶の大掃除

 2019年は残り200時間も無いらしい。

 200時間と書けば結構残っているような印象もある一方で、2019年は8760時間あることを踏まえて考えれば、当然だがあとわずかだ。というよりこの計算をして、1年とは8760時間しかないのかと驚いている。

 とはいえ結局時間軸上の距離感覚というのは印象の強さに大きく左右されるものなので、3月にあった出来事を昨日のことのように思い出せることもあるし、10月にあったイベントを遠い昔のことのように感じることもある。複数回の想起による記憶定着もあることだし、思い出の前後関係は人間曖昧で当然だと思う。

 

 全く関係ない話だが、今日懐が珍しく暖かかったので、百合漫画を10冊くらい買った。概ね1巻とか2巻しか持ってない本の残りの巻だ。

 自分は本棚に1巻がポツンと並んでいる状態があまり好きではない。勿論その本が1巻完結やまだ1巻しか出ていない新しい漫画なら仕方ないが、既刊が揃っていない状態を見ると、自分の飽きっぽさや経済力の無さを突き付けられているような気分になる。(無機物に無力感突き付けられる自己肯定感、何?)

 そういうわけで、今日は経済力を行使して本棚の見栄えを向上させた。1巻から最新刊まで数字が並んでいるのを見ると、やはり気分が良い。新しく買い足した本は、クリスマスとか年末にゆっくり読もうと思う。

 これを踏まえて、ごちゃごちゃになっている今年の記憶も順番通りに整理してみようかと思い立った。今まで自分は大晦日や元旦に1年の総括を試みて諦めてしまうことが何回かあったが、それは完全に終わったことに着手する体力もモチベーションもなかったからではないかと自己分析している。

 本棚を整理することで新しく買うべき本が見えてくる。*1 同様に、未完の2019年を整理することで、どういった残り一週間を過ごすべきが分かってくるのではないか、というようなユルい願望と共に今年を振り返ることにした。

 大掃除にありがちな、久々に手に取った本に時間を取られるような寄り道も挟むことになるだろうが、お付き合いいただければ幸いである。

 

 

 

就活

 今年の3月から6月は大体就活に勤しんでいた。そして結論から言えば全敗した。

 本ブログの過去記事には就活解禁日に投稿された記事がある。時間があればそちらも読んでいただけると嬉しいが、ここでネタバレしてしまうなら、「働きたくないのに就活してる俺矛盾しすぎワロタ」の一行で済む内容だ。

 そういった俺の底の浅さを見透かされた、というのはちょっと人事という存在を高く評価しすぎのような気がする。それに、根本で働きたくないという気持ちがあるからこそ、それでもこの御社なら労働を負の時間と思わずにやっていけるかな、という御社をしっかり考えて選ぶことが出来たので、モチベーションはそこそこに高かったのだ。

 具体的には大学で専攻している、実証分析を武器というかそのまま仕事にできるシンクタンクの経済調査職をいくつか選んで受けていた。集団面接に参加する学生の半分以上は院卒、そういう世界だった。

 陰キャの自分にしては上手に話すことが出来たと思う。ただ、大学で研究している内容について聞かれた時、他の話題に比べて饒舌になるのはちょっと避けようがなかった。自信があり、好きな分野だったからだ。具体的な話なので、面接官もかなり興味を持って聞いてくれた。

 問題は嬉々として語り終わった俺に100%襲い掛かってきたこの質問だ。「大学院で勉強を続ける気は無いの?」……そんなもの、あるに決まっている。無策で「ある」と答えた就活序盤の面接は、全てそこで落ちた。「あるが、それと同等かそれ以上の学びを得られると感じて御社を受けているので御社より優先することはない」と対策を完成させるまでに数社を犠牲にした。正直この辺の自分の頭の回転の遅さにはうんざりする。

 結果全敗と相成ったが、試合数が一桁の段階、時期的には7月の頭で就活を切り上げ、両親とゼミの教授に院試を受験したい旨を伝えた。ESはほぼ全勝、オブラートに包んで二年後またおいでと言ってきた御社もあったことだし、割と予定調和の路線変更だったと思う。概ねどこも親切で、二年後またチャレンジしようと思えた御社がほとんどである。一方でリ〇ルートから内定辞退率を買っていたとこもある。そんなもんよね。

 総括して、全敗の割には随分前向きにこの就活の経験を捉えている。退職エントリがバズって社会人からコンテンツに姿を変えるような大人になるのは正直ごめん被るので、まあ金や親族や世間に許される限りは、勉強を続ける人生にしようかなと捉え直す良い機会になったんじゃないかと振り返る。

 

 

狂人*2

 正直今年の出来事ではないのだが、以下に陳列する考えが脳をかすめたのは今年の春なのでこの辺に置いておく。

 リスペクトするブロガーが一人いる。というかブログコンテンツに疎い自分が熱心に購読しているブログはこの人のものただ一つだ。もしこの人が作り出し、匿名掲示板を経由して周知されることになった”ネタスレ”を目にすれば、狂人であるという主張に異を唱える人間はいない、そんな人だ。

 だが、いざ氏のブログを読むとネタの性質とは似つかない、極めて理知的な論理構成の文章と、考え抜かれたギャグとオチが配置された記事に出くわすことになるから面白い。

 人を笑わせることの出来る狂気、ユーモアとして取り扱うことの出来る狂気というのは、大概の場合しっかりとした計算の上に成り立っている。ただ、そのネタの育ちはロジックであったが、生まれは完全に情熱とか衝動、もっと軽い言葉を使えば思い付きに類するものであることも述べられている。

 オンリーワンな地盤としっかりとした構成。この2つが揃って初めて、出来上がった物が人にとって「面白い狂気」として受け入れられる。ここを履き違えて、狂っていれば面白いと勘違いした人間が凡百な地盤にバラバラに物を並べ、ネタだと言い張る例が最近後を絶たない。しかもその並べ方すら模倣品だったりすると、呆れを通り越して悲しい気分になる。

 やや厳しい論調になったが、これは自己批判も含まれる。最近狙いすぎたツイートが下書きに段々溜まりつつあるので、深夜に少しのリメイクを加えて放流しているのだが、やはり受けは良くない。自分もインターネットに巣食う発信者の一人である以上、気を付けなければならないことは沢山ある。

 あまりに自分の文章が稚拙ゆえに直接リンクを張ることは憚られる。氏もそのネタについて自分が作ったと声高に述べることは一切しない。アレのことか?と心当たりのある読者もおられようが、答え合わせは出来ないことを了承いただきたい。

 

 

 同年代の友人が亡くなった。初夏の事であるらしい。

 友人と言っても、今年のGWに匿名掲示板のオフ会で一度会ったきりの男だった。とはいえ、一つ前の章で出てきた匿名掲示板某板のような巨大コンテンツでは全くなく、実に狭苦しいコミュニティで、お互いの存在は5年前くらいから相互に認知していた。

 5年越しの初対面で彼と自分はかなり意気投合した。彼はクラブサウンドを愛し、芸術性や感受性に優れ、そして恐らく社会から逸脱した男だった。オフの最中も時折市販薬の瓶を取り出し、何十という数の錠剤を飲み込んでいた。詳しくは知らないが、咳止め薬の一部は過度に服用するとキマるらしい。

 彼の死を知ったのは人伝てだった。オフ会の後フォローした、その日使用した薬物の量を記録する鍵アカウントの更新が1週間ほど止まったことに気付き、同じくオフ会の参加者で、その後彼と継続して交流していた人物にDMで消息について尋ねたところ、亡くなったのだと聞かされた。その後(自分は欠席したが)告別式に相当する会の話もあり、虚偽の余地は存在しない。

 そのアカウントのツイート内容はほとんど自分にはわからなかった。隠語か略語かわからない文字列の後ろに分量が記載されている。合法か違法かすらわからない。ただ、いつもに比べて種類も量も異常に多い記録を最後に、ツイートは途絶えた。その最期は自殺と事故の中間点だったと想像する。

 インターネットが無ければ決して出会うことはなかったと断言できるほどに違う人種であったが、自分も彼も一定の希死念慮を抱える人間だという点で一致していた。自分の表面上は取り繕われた人生を、彼が褒めてくれたのは記憶に新しい。そんな彼が亡くなって前向きに生きる糧になったかと言われればそんなことは無く、人には人の境遇と苦しみがあって、それは比較不可能であるという思いを確かにしただけだ。

 ただ、それ以来、自分は酒の席で必ずジントニックを飲むようになった。元から好きな酒だが、オフの飲み会で彼と揃って注文した酒だった。アルコールなど、薬に慣れた彼にとっては水みたいな物だったに違いないのだが。

 

 

当ブログ更新

  

cranetrick.hatenablog.jp

 夏書いた記事のウケが(特に身内に)そこそこ良かった。2分くらいで読めるはずなので気軽に読んで戻ってきてもらえるのが一番嬉しいのだが、これもネタバレをすると、ふざけたタイトルからR-15百合SSを繰り出し肝心なところでこれが自分の夢ですと強引に落とす一発ネタである。

 しかしこれは書いていて楽しかった。落とすとわかっていたからか、普段自給自足のためにキーボードを叩いてはバックスペース、叩いてはまたバックスペースを繰り返している時に比べて、些細な表現や展開の無理のなさを一切無視してひとまず形にするという目的を完遂できた。これは文章を書きやすい状態を作るマインドセットとして重要かもしれないという気付きがあった。

 ほかにもこういったアイデア*3はいくつかスマホのメモ帳に眠っている。いつか形にしてやりたいものだ。

 完全に余談だが、当該記事のSS部分において、一切語り手=主人公が女性という記述は登場しない。当然女性のつもりで書いたのだが、これを万が一NLと理解されると、あまりにも落ちが弱い。なるほどそれで自分の趣味が前提として共有されている身内に受けたのか。百合豚はつらいよ。

 

 

まちカドまぞく

 良いアニメでしたね。

 この作品がまだ単行本1巻しかなかった頃に、今は疎遠になってしまった友人に貸してもらっていた過去がある。もっと正確に言うと、貸してもらっていた頃にはややすれ違い始めていて、あまり読まないで返してしまった。それ以来、今年までなんとなく避けていた作品であった。一体誰が悪かったのだろうか?シャミ子でないのは確かだ。

 Amazonプライムで単行本1巻とアニメが無料だったので、例のミームが流行るか流行らないかくらいの頃に重い腰を上げてコンテンツを摂取した。避けていたのがバカバカしくなる面白さだったので、書籍で2巻から5巻を購入し、アニメも最後まで視聴した。

 この作品の日常系作品内における独自性は、おおよそ狂言回しの不在に終始する。まぞくとして覚醒した病弱少女吉田優子が、本来宿敵である千代田桃にあしらわれ鍛えられ助けられ頼られながら、まちを守る立派なまぞくに成長するという明確なストーリーは、イベントの無い日常の中で事件を起こしてしまう不憫な少女を必要としない。

  作者伊藤いづも先生の「日常系」の解釈は感動するほど鮮やかで直球なものだ。それを自分の言葉で再翻訳するなど野暮かつ愚の骨頂であるので、インタビュー記事のリンクを張ることでこの作品の感想の代わりとさせていただく。先生が焦らず着実に快復なさることを祈るばかりです。

 

media.comicspace.jp

 

 最後に豚として一言、前後は桃シャミではなくシャミ桃だし、千代田桃は自分の感情を苦しくなるほど抑圧する性格*4だし、彼氏面するくせに誕生日も記念日も失念してるし、服の色とかヘアピンとかで主張するの良く言えば奥ゆかしく悪く言えば童貞的だし、とてもじゃないが自分から手を出して挙句責任をシャミ子に転嫁するような女ではなく、むしろ桃の彼氏面以上に彼女面をして、桃の幼少期の話に食いつき、桃の腹を執拗に触り、桃の香りで飯を食べ、桃とペアルックになるまぞく装束を希望し、そのことごとくを桃のラノベ主人公的鈍感さに却下されているシャミ子が、大好きな人のいろんな顔を見てみたいというリコくんに同意を表明していることを鑑みれば、シャミ子「桃がいけないんですよ……」となる方がよほど自然で原作文脈に沿った解釈なのではないか、と述べさせてほしい。とはいえリバが比較的許容されるのが百合の良いところであるし、何より無意識への働きかけという前提さえあればシャミ悪も全くおかしいシチュエーションではない。俺は悪くないよ。

 

 

卒論

 今日の朝、卒論の初稿を書き上げた。実証結果の解釈に不安が残り、考察もロクに展開出来ていないものだが、一度教授に見てもらい、残りの執筆は修正という名目で行う事になる点で一区切りと言える。

 非常に疲れたというのが本音である。専門的な話については不必要かつ自分の不勉強が露呈するため一切を省略するが、一文一文を事実、結果、自分の考えに厳密に区別し、一々外人の名前と年代を挿入する作業は実に困難を極めた。この記事をここまで*5執筆するのにおよそ3時間弱といったところだが、卒論は一晩徹夜してようやく2000文字進むというような日もあった。アカデミックライティングの難しさというものを突き付けられた格好である。

 ただそれを終えてもやはり思うのは、自分は結局、考えて、文字に起こすという行為が好きな人間だという事だ。困難ではあったが、苦痛ではなかったのだ。

 卒論から一時的に解放されたその日の夜にやることがブログというのは、全く指や肘を労わっていない。なんなら昨日徹夜明けで有馬記念の現地参戦に赴き*6人混みから風邪菌をもらったらしく、解放感で気が抜けたのと合わさって体調が悪くなりだしている。それでも寝るのはこれを書き終わってからにしようと考えている。(これはただのバカとも言える)

 実は自分は来年の春何をやっているのか一切わからない。大学院試が卒論審査型故、まだ出願期間ですらないのだ。今のところ来春の進路は3パターンある。

卒業失敗⇒院試結果不問:来春学部四年生

卒業成功⇒院試合格:来春大学院生

卒業成功⇒院試不合格:来春無職

 オッズは上から1.8倍、2倍、4倍といったところだろうか。ちょっと進級できる自信が無い。院進を前提に指導していただいている教授に申し訳が立たないというレベルではないので、出来るだけ足掻きたいのだが……

 いずれにせよ、どの進路に決定しても今年に比べて時間がありそうなので、もっとブログを更新したい。ついでにフィクションにも挑戦したい。そう思ったのはこの記事の執筆が半分くらいに到達したところである。

 書くという行為を通じて、書くことが好きだったのかと気付くことが出来た。大掃除は、これにて成功としたい。*7

*1:自分は一度これを怠って本屋に行ったことがあり、『あの娘にキスと白百合を』の7巻を2冊所有している。アイキャッチ画像参照。

*2:2020/11/26追記:氏があるインターネットの騒動を受けていくつかの記事を削除、自分もその考えに追従し本節の記述を大幅に改変した

*3:果たしてSSのことなのかギミック込みのブログ記事の事なのか。想像にお任せする。

*4:これに関して、桃はシャミ子の弁当が食べられなかったくらいで闇落ちするので抑圧の限度は低くシャミ悪は容易に発生するのではないかという指摘が存在するが、シャミ子の弁当が食べたいという欲望は、最初にシャミ子が桃の無意識に侵入した際にコーラを心象世界内の桃に渡した結果現実世界で桃がコーラを無性に飲みたくなったのと同様に、2回目の侵入の際シャミ子の弁当を食べたことによってブーストされた欲望であることについては留意せねばならない

*5:この文まででおよそ5200字

*6:軍資金は少なかったが、枠連と三連複が的中した。冒頭で懐が暖かいと述べたのはそれ故である。

*7:やはり掃除の過程で見つけたものに気を取られて掃除をやめてしまうあたりも、ズボラな自分の年の瀬に相応しい。